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2008年8月11日 (月)

9条の会・結成2周年の集い

Photo  昨日の午後、地元の「9条の会」・結成2周年の集いが、町の公民館でありました。世話人に名を連ねていますので、開会の1時間以上前に会場へ行き、机や椅子を並べたり資料を整理したりの手伝いをしました。日陰は涼しいといっても猛暑のなか、しかも群馬県内では全国高校総合文化祭が開催中で、人がどの程度集まるかどうか、世話人は少し心配。しかし開会の2時には、30人をこす町民の皆さんが集まってきました。

  

 「地域と歴史から『憲法』を考える」と題した講演がありました。元高校の先生で現在前橋国際大学講師の歴史家・岩根承成(つぐなり)さんが講師です。
 テーマは、日本国憲法の三大基本原理、国民主権・基本的人権・平和主義が、占領軍から押し付けられたものではなく、日本の近代史のなかにルーツを見出すことができる。しかもここ群馬の地が、憲法原理発祥の地である、というものでした。
 まず岩根さんは、憲法25条に結実する生活生存権獲得の前史を、この町の歴史から掘り起こします。
 [第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。]
 1883年(明治16)北甘楽郡蕨村・多胡郡片山村など12か村連合農民騒擾(そうじょう)。相野田村得成寺に農民400余名が集まって負債返済の延期を求め、その代表として12か村惣代たちが北甘楽郡長へ伺書(うかがいがき=要望書)を提出しました。いずれの地名も、自宅から10-15分程度で行ける場所です。また村惣代のなかには、知人の先祖を思わせる名前が、何人か混じっています。
 明治期の当地の農業は、田畑の比率が1対7ぐらいの畑作地帯で、圧倒的に養蚕主体の経営でした。春先、桑園の肥料代、養蚕道具類、5,6月の雇用賃金などにあてるため、農家は生産会社(金貸会社)から借金し、そして秋、その年の繭の販売収入から返済する、という資金繰りをしていました。1881年(明治14)就任した大蔵卿・松方正義のデフレ政策(大増税・緊縮予算・軍事費増)により繭価が半減、借金返済は不可能となります。ある生産会社貸与金の借金返済不能率のデーターが、レジュメに載っていました。1881年1.6%、82年24.8%、83年72.2%そして84年77.2%。そこで地域の農民が大団結し、生産会社への借金返済期限の延長を、郡長に願い出たものです。「御伺」には「一手ノ返償無覚束候ヘ者而テ返償ノ義務ハ長クモ尽シ度精神」とあり、一度には返却できないが長くかかっても義務は果たす、と決意しています。
 こうした運動は群馬県各地で起こり、翌1884年の群馬事件や秩父事件へと発展していきました。村惣代3名が群馬事件、2名が秩父事件に参加しています。
 講師の岩根さんは、いいます。江戸時代から明治の初期には、農民を破産に追い込むような行為に対しては、社会的制裁を課すという慣行があった。これは、生活生存権の思想そのものだ、と。近所の農家の3,4代前の村人たちの、生活生存権を賭けた戦いが、憲法25条に結実していった、というわけです。
 講演はこのあと、群馬県会(後の県議会)や国会開設を求めた群馬県民の運動について紹介され、国民主権獲得についての群馬県民の先駆性が指摘されました。そして最後に、もうひとつの憲法原理、平和主義について語られました。岩根さんは「9条の理念は100年前、群馬から発信された」と明言されます。内村鑑三(元高崎藩士族)と柏木義円(安中教会牧師)の非戦論です。講演で語られた柏木義円について紹介します。
 新潟生まれの柏木は、群馬県碓井郡の小学校教員をしていたときキリスト教に出会い、京都の同志社英学校で新島襄に学びました。群馬へ帰った後は、小学校校長をつとめ、1897年(明治30)安中教会の牧師になりました。そして、1898年から1936年(昭和11)までの38年間続けた『上毛教界月報』(全495号)では、平和主義や思想・言論の自由を主張し続けました。地方(安中)からの勇気と正義感にあふれた発信でした。
 日露戦争開戦直後、柏木は、上記『月報』に次のように書きました。「戦争は単に殺人と云う一点より見るも、地震、海嘯、噴火、疫病よりも残酷悲惨なり。・・・一つとして其の光景酸鼻の極ならさるはなく、莫大な軍費と増税は将に国民の生活を圧迫せんとし、不景気は徐々として肉薄し遂に貧者の職業を奪って飢えに泣かしむるに至る可く、・・・特に戦地人民の悲惨は言うに堪えさるものあり。」(65号1904年3月15日)
  また日露戦争終戦直後には、次のように主張します。「戦乱未だ起らさるや開戦を主張して曰く、永遠の平和の為なりと。戦乱ようやく熄(や)んで平和将に来たらんとするや更に又戦争継続を主張して曰く、永遠の平和の為なりと。彼らの論理的帰結を推せば、其所謂永遠平和とは敵国悉く絶滅し我陸海軍世界第一となりて、天下われに敵するものなきに至る、これなり。」(84号1905年10月15日)
 岩根さんは、柏木義円の非戦論を、次の5点に要約されました。
 ①戦争は、「軍費と増税」により国民生活を破綻に導く。
 ②戦地の住民(中国・アジアの人びと)に耐えがたい被害と悲劇をもたらす。
 ③軍事力の行使(戦争)は際限のない軍備と軍事行動の拡大を生み出す。
 ④日本の軍備は、「世界の脅威」となる。
 ⑤武力よりも「親善」(外交)が「世界の世論」である。
 日本国憲法9条の精神がそのまま、柏木義円の非戦論に込められています。とりわけ、「戦地人民の悲惨」への想像力は、戦後の平和運動のなかで必ずしも十分に意識されないで来た加害者意識を明確に指摘しており、彼の先駆性に驚きさえ感じます。日露戦争から日中15年戦争のなかばにいたる38年間、反戦平和の声を群馬県安中の地から発信しつづけていた牧師がいたことに、深く感動しました。群馬に移り住んで25年、この地の豊かな自然と人情深い人たちに囲まれての生活に、幸福感を抱く日々ですが、加わるに、この地の先人たちの偉業を知るに及び、愛郷心の芽生えを強く意識します。こうした先駆者を持ち日本国憲法を擁する日本を、私は心から愛します(引用その他は講演とそのレジュメから)。
 

 

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