バオ・ニン著『戦争の悲しみ』
バオ・ニン著『戦争の悲しみ』は、ヴェトナム戦争が生み出した戦争文学です。著者バオ・ニン(1952-)は69年、ハノイの高校卒業後ヴェトナム人民軍に入隊し、南ヴェトナムにおいて米軍やサイゴン政府軍との戦闘に従事しました。この小説は、著者本人の、青春の日々を奪われ人格を破壊されんとした戦争体験と、自己葛藤のなかで生きる意欲を取り戻し自己再生を図ってきた戦後体験が、深く影を落としています。
私にとってのヴェトナム文学は、この作品が初めてです。また、私にとっての従来の戦争文学は、全て過去の、つまり私の生まれる前の戦争を題材としたものでしたが、『戦争の悲しみ』は、自分と同時代の、しかも私と同世代(いくつか若い)の作家による作品であり、ヴェトナム反戦デモへ参加したことを思い出し、いままでの戦争文学にない読書経験をした感じがします。
主人公キエンは、高校卒業と同時に人民軍に入隊し、南ヴェトナムに派遣されます。幼なじみで恋人のフォンは、無知と偶然からキエンに同行し、米軍による北爆のもと集団暴行を受けます。不幸な別れをした二人は、戦後までの10年間、互いに音信が絶えます。キエンは、各地で戦闘を体験し、偵察小隊長となって活躍、サイゴン陥落の日を迎えます。この間に、キエンの体験した戦場でのエピソードが、文中に積み重ねられます。
ある日、部下のティンが村の焼け跡で撃ち落した大きな猿を持ち帰り、その肉を食うために仲間とともに料理をしょうとする場面があります。「その猿にとどめを刺し、体毛を剃り落としたところ、その正体は灰白色のざらざらした肌を持つ傷だらけの太った女性だった」。偵察小隊が、ハンセン病患者の隔離村に入った時のことです。「これは実際にあったことだ」と著者は云います。貧困と差別と戦争が重なり合った地獄絵のような悲劇です。
部下たちは、死と隣り合わせの偵察の日々、トランプでの賭け事を楽しみ、ホンマーという幻覚作用のある植物の煙を吸って、美しい神秘の夢世界にひたります。またある時は、人里はなれた農場に住む3人の娘たちを訪ねていき、愛し合います。キエンは、この若い隊員たちの逸脱行為を黙認します。
キエンの戦時の記憶のなかで、最も悲惨で哀しい思い出は、約20人の負傷兵を避難させていたガイド・ホアのことです。避難路を探していたキエンとホアは、10人以上の頑強で大男の米兵たちにでくわします。軍用犬のシェパードが、鼻先で何かの匂いをキャッチしたとき、ホアはいつの間にかキエンから離れて這っていきました。ピストルの音とシェパードの悲鳴。米兵たちは、ピストルの発射音に向かいます。ホアは、負傷兵搬送隊とは逆方向に逃げ、米兵は撃たずに追いかけます。そして捕まり、米兵たちによって強姦されたうえ殺害されます。キエンは手に持った手榴弾を投げることなく、搬送隊のもとに戻りました。「多くの他者を生かすために一人が死ぬ」。キエンの心には「生き残った悲しみ、果て知れぬ悲しみ・・・・・戦争の悲しみ」が覆いかぶさるのでした。
こうした「戦争の悲しみ」のエピソードが、何重にも積み重ねられ、記憶し続けられるのです。主人公キエン=著者バオ・ニンの、戦争体験によってズタズタにされた人格を再生させるための、苦渋に満ちた選択が、戦争の記憶を書き留めるという作業だったのです。
この小説には、戦争のヒーローは登場しません。正義を振りかざす政治家もいません。解放戦争の正当性を主張する場面もありません。レイプ事件は、米兵にも人民軍兵士におこります。非人間的な行為は、傀儡軍にも人民軍にも、見られます。戦闘の場面では、正義も不正義もありません。ただあるのは、戦争の悲しみがあるのみです。深く絶望的な戦争に対する嫌悪感が、この小説全体に漂っていました。
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