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2008年9月14日 (日)

母のこと

  私の家に母(94歳)が来たのは昨年の8月でした。それから1年余りたちますが、この間のことは、折に触れこのブログにも書きました。母の介護のことを記録しておきたいとの個人的動機と、高齢者との共同生活についての報告が何らかの参考になれば、と考えてのことです。

 孫2人が遊びに来ていた日のことです。ごはんだよ、と声を掛けにいったひ孫たちの目のまえでおふくろは転んでしまい、自力で立ち上がれませんでした。幼い子供たちはショックを受け、口を半開きのまま呆然と、倒れこんだままの曾祖母ちゃんを眺めるばかりでした。丁度そこに私が帰ってきて、倒れたおふくろを立ち上がらせました。それからというもの、2人のひ孫がみずから、食事のたびに曾祖母ちゃんの両手を持って食堂に引率するようになりました。ひ孫に手を引かれてくるおふくろの顔は、世の中の幸せを一身に引き受けたような表情です。
 旧盆あけころから、おふくろは食後、食べた物をもどすようになりました。毎回ではなく、数回の食事に1回程度の頻度です。嘔吐特有の嫌な臭いがしないところから、胃に入る前、あるいは浅く入ったところでもどしているのではないか、と家内と推定していました。時には、自分の指を咽喉の奥に突っ込んで、無理やりもどしていることもわかりました。理由を聞きますと、気持ちがわるいから、といいます。
 掛りつけの医者に診せたところ、便に微少の出血が見られ消化器疾患の可能性がある、と指摘されました。同時に、おふくろの年齢や体力を考慮したら、たとえ何らかの病気であっても、治療の選択肢は多くない、とのことでした。しばらく様子を見ようということになりましたが、その後も嘔吐は止まらず、このままでは体力も消耗し、なによりも「食べることだけが楽しみ」と本人もいっているその食べることが、苦痛となり忌避するようになることを恐れ、ともかくも検査をして事実を知ろうと決断しました。消化器科の医者を紹介していただき、鼻腔から注入する胃カメラで検査をすることになりました。私も、この春の人間ドックで初めて、鼻から注入する胃カメラを経験していたので、あれならおふくろも耐えられるだろうと思いました。おふくろには、もどすことの原因を調べるのだと云い、家内が付き添って医者へ行きました。診断結果は、思わしくありませんでした。腫瘍が胃内部に膨張して空間を狭め、食べたものの流れを阻害したために嘔吐していた、というものでした。
 消化器科の医者からは、手術は無理だけれど抗がん剤での治療が可能で、しかもいい抗がん剤ができているので、副作用の心配もほとんどない旨の説明を受けました。幸い近くの大きな病院にホスピス専門の病棟があり、それを先駆的に進めてきた胃がん専門の外科医がいらっしゃるということで、再び紹介状をいただき、胃カメラの検査結果をもって病院にいったのは、一昨日のことです。結果は、抗がん剤治療はできない。服用すれば、極端に食欲をなくし心身ともに落ち込んで、高齢者には耐えられないだろうとのこと。結局、最初の掛りつけの医者の言うとおり、何もしないでおくことになりました。1回の食事量を減らし食事回数を増やすこと、栄養価の高い食事(治療用の栄養剤含む)を与えることなどの助言を得て、帰ってきました。緩和病棟への入院はいつでもできるようにしておく、との言葉をいただきました。
 先生が本人に、嘔吐の原因は胃にできたできものが食べ物の流れを邪魔しているためだ、と分りやすく説明されたので、おふくろは納得したようです。家内によれば、おふくろは大きな病気でなくてよかった、とほっとしているとのこと。確かに、病院から帰ってきたおふくろは、快活です。昨日は、3度の食事と2度のお茶を3人でともにしたのですが、おふくろは「おいしい、おいしい」と、5回とも出された物を、しっかり食べました。不安感が払拭された感じです。いまのところ、痛みがまったくないのが、救いです。今朝はひさびさに、カトリック教会のミサにあずかり、敬老の日も兼ねていたこともあって、信者の皆さんから声をかけていただき、幸福な安息日を過ごすことができました。きょうの元気で明るい表情をみていると、重篤な疾患を抱えていることが、信じられません。
 高齢者に悟りの境地を強いるのは、不当なことだと思います。おふくろも、私たち同様に「死」の恐怖を感じています。テレビに出てくる100歳以上の人たちの元気な様子は、なによりも励ましになっています。「これだけ長生きしたのだから」との慰めは、本人には極めて残酷な言葉だと思います。今後私たち夫婦が、おふくろの残された日々を、どのようにしてどれほどに支えていけるのか。命のつづくかぎり、苦痛を可能なかぎり取り除き、今までと変わりのない日常生活を続けていき、そして笑顔を持ちつづけることのできるケアーを心がけていきたいと思います。おふくろの新しい段階の介護が始まりました。
 

 

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コメント

夜中にコメントを書いたら寝ぼけてどこかに行ってしまいました。
重複になったらゴメンと言うことで再度拙文を書きます。
minomaさん何時も名文に感じ入って拝見していますが、今回は身近な
テーマであり、ご夫妻の人となりが感じられコメントしたくなりました。 それにしても奥さんの母に次いで貴殿のお母さんと大変ですね。特に奥さんは四六時中のことであり殊のほかと思います。
幸か不幸か当方は小生が10人、家内が4人兄弟の末っ子と言うことでこのような経験がありません。
私の母は札幌に転勤した翌年(昭和52年)に、父は大阪に行った54年に亡くなりましたが、もう30年も前のことになります。
家内の母(大正4年生)はまだ元気で名古屋の義姉家族と同居していますが、いまだ一人でバスに乗って栄のデパート行くようです。
昨夜も送った粗品のお礼の電話があり楽しげに話していました。
いま私は生涯独身で来た姉の面倒を見る立場にありますが、兄弟の情は親子のそれと異なるといえども、貴家のような懇ろな面倒見となっているか省みている次第です。
いずれにしても高齢化社会になっていろいろな問題が発生していますが、後期青春期をできるだけ長く楽しみ、後期高齢期を迷惑かけずに過ごすには健康第一!ご自愛のほどを。
中秋の名月に因み一吟献上         
       仲秋の月  蘇軾
     暮雲収まり尽くして 清寒溢る
     銀漢声なく 玉盤を転ず
     此の生 此の世 とこしなえに好からず
     名月 明年 いずれのところにか観ん
蛇足ながら「日は全く暮れて清寒の気深まる。空一面の天の川は静かに輝いて、名月のみゆっくり西に移ってゆく。我が人生もこの清らかな夜もいつか変わらずにはいない。この月を来年は果たして何処の地で眺めることであろうか。」

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