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2008年9月20日 (土)

クッツェー著『鉄の時代』

Jm_  老いた母親が、娘に書いた手紙。母親は、末期ガンに侵され、そして娘は遠く離れた異国の地に住んでいます。母親は娘に、「わたしの真実―この時代を、この場所で、どのように生きたかということ」を伝えたいと熱望します。だからこの手紙は、娘への遺書のようなもの。この時代とは、1980年代、アパルトヘイトが崩壊の危機にありながらも、いまだ差別と暴力がはびこっている時代、そしてこの場所とは、南アフリカ・ケープタウンの白人住宅街。(J.M.クッツェー著『鉄の時代』 河出書房新社 池澤夏樹編「世界文学全集Ⅰ-11」08.09刊 写真はウィキペディアから)

 70歳の元ラテン語教師ミセス・カレンは、夫とは別れ、アメリカに住む一人娘とは電話や手紙のやり取りでつながっています。カレンの自宅には、家政婦のフローレンスとその子供たち-15歳の息子ベキと二人の幼女-と、もう一人、ホームレスの男性が同居しています。故国を捨てた娘については、手紙の呼びかけ相手の「あなた」として幾度となく登場しながら、娘本人は一度もあらわれません。つまりカレンにとっては、かけがえのない最も大切な存在でありながら、極めて希薄な存在となっています。南アフリカとアメリカの、距離の遠さや政治や文化のあり様の違いが、二人を隔絶しているようです。娘の曖昧なイメージから、手紙の相手である「あなた」は、アメリカ、ヨーロッパおよび日本などの先進国に住む私たち読者を指しているのかもしれません。
 フローレンスの実家を訪問する場面があります。そこでは、南アフリカの黒人たちのありふれた日常生活が営まれています。
 「十時をすぎて、だんだん暑くなってきた。教会の礼拝は終わっていた。客間には客があふれ、おしゃべりに花が咲いていた。しばらくすると男たちは屋外へ出る。料理をする姉をフローレンスが手伝うときだ。・・・・・外にいた男たちがもどってきて、みんなで昼食だ。農場か工場か製造所、どこかそんな場所からきた鶏肉と、ライス、キャベツ、グレイヴィーソース。」
 再びフローレンスの実家へ、息子ベキの行方を捜して訪ねます。そこは、白人政府に支援された黒人自警団による破壊と襲撃の場と化していました。何百という群集が見守る中、男たちが家々を放火してまわっています。そして、銃撃と放火のなかで、5人の少年たちが殺害されます。その中の一人がベキ。黒人同士の派閥抗争といいながら、白人政府による黒人弾圧を暗示します。
 「中央の死体が・・・ベキだった。グレーのフランネルのズボンに、制服の白いシャツと栗色のセーターを着ていたが、足は裸足だ。目は開いたまま一点を睨み、口も開いたまま。・・・ベキの目尻には砂粒が入っていた。砂は口のなかにも侵入していた。」
 カレンは、幼児のころからよく知っていたベキの死に、強い衝撃を受けます。南アフリカの少年たちの悲惨な現実の姿が、ベキと仲間たちの事件から浮き上がります。

 「あの子とその仲間は、自分たちは子ども時代を卒業したんだっていう。そうね、子どもであることをやめてしまったのかもしれない。でもいったい、なんになったのかしら?厳格な、ちいさなピューリタンよ、大声で笑うことも、遊ぶことも軽蔑して。
 では、なぜ、あの子のことをこんなに悲しく思うのか?答えはね、あの子の顔を見てしまったからよ。死んだとき、あの子は子どもにもどっていた。いきなり襲ってきた最後の瞬間、投石や銃撃はゲームではないのだとさとった瞬間、仮面が剥がれて、子ども本来の驚愕の表情が顔に出てしまった・・・・・」。
 こういう時代を、ミセス・カレンは「鉄の時代」と呼びます。柔和な「粘土の時代」や「土の時代」に戻っていくことを期待して。その「鉄の時代」では、「狂信的白人たちが、まだ自分の靴のひもさえ結べない幼い子どもにまで、旧態依然とした戒律と、労働と、服従と、自己犠牲の社会秩序のことを、死の支配体制のことを説教しているのではないか。徹頭徹尾、なんという悪夢!」
 この「鉄の時代」の真実を、アメリカに住む娘に伝えたい。その任務を、ホームレスのファーカイルに託そうとします。ミセス・カレンとホームレス・ファーカイルの、奇妙な出会いと交流、そして遂には、娘への遺書とも云うべき手紙を託するまでになる、ミセス・カレンの心の動きと二人の友情(あるいは恋愛)の深まりの過程こそ、この小説の真のテーマなのかもしれません。悪臭で不潔なアル中の元漁師のホームレスと末期ガンに侵された元ラテン語教師の老夫人、この似ても似つかない二人が、やがて会話がかみ合ってはずみ、「長い沈黙のあとで、ようやく訪れた喜びだ―目に涙が浮かんできた」ほどの関係になります。一方で「カーファイルを信頼できないゆえに、わたしは彼を信頼しなければならない」という逆説をもって、関係を深めていきます。死と向き合う老夫人の孤独の深さを思い知ります。しかし、ミセス・カレンを看取るのはやはり、ホームレスのファーカイルであることが予測されます。最期のセンテンスは、二人の恋愛と小説『鉄の時代』を象徴的に表現し、ペンが置かれます。
 「「時間かしら?」
 わたしはベッドにもどり、冷たいシーツのトンネルに潜り込んだ。カーテンが開いて、あの人がわたしのそばに来た。初めてわたしは臭気を感じなかった。あの人がわたしを両腕に抱いて、息がわたしから一気に出て行くように、渾身の力で抱きしめた。その抱擁からは、どんな温もりも感じられなかった。」
 
 

 

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