W.B.イエイツ編『ケルト妖精物語』
司馬遼太郎が、「本居宣長と萩原朔太郎と柳田國男と小山内薫を一つにしたようなひと」と称したアイルランドの詩人で劇作家の、ウィリアム・バトラー・イエイツの『ケルト妖精物語』(ちくま文庫 1986刊)を読みました。数年前に、柳田國男著『遠野物語』や阿部謹也著『ハーメルンの笛吹き男』を読んで以来の民間伝承物語(『ハーメルン・・・』は研究書)です。近年中にアイルランドへいってみたいとの思いから、司馬遼太郎著『愛蘭紀行Ⅰ.Ⅱ』(朝日文庫 93刊)を読み返してみて、「カトリック世界でただ一ヶ所、アイルランドだけは、小人や妖精が生きのこることをゆるされた」との記述に惹かれ、この本を読んでみることにしました。
まずイエイツは「序文」で、アイルランド(人)と妖精たちとの関係について語ります。イギリスでは妖精たちが消え失せてしまったのに対して、「アイルランドでは妖精たちはいまだに生き残っていて、心やさしい者たちには恩恵を与え、また、気むずかし屋たちを苦しめている。「今までに妖精とか、何かそういうものを見たことがありますか」とわたしはスライゴー地方の老人に尋ねてみた。「奴らには困ったものだよ」という答えが返ってきた」。イエイツは、民間伝承を聴き取るなかで、アイルランド人の心のなかに妖精が、今なお生きていることを、確信します。何故なら、普段迷信を信じない人でも、「心の奥に深い傷跡を残すような目に会えば、みんな幻視家になる」ものですが、「ケルト民族は、心に何の傷を受けるまでもなく、幻視家(ヴィジョナリー)」だからです。
多くの作家や詩人たちが、アイルランドの民間伝承の採集者として登場し、イエイツみずから採集した物語や詩とともに、本書『ケルト妖精物語』を構成しています。イエイツは、これらの物語と詩について、次のように紹介します。「ユーモアはすべて悲哀と情感とに道を譲った。ここにおいて、わたしたちは、何年にも及ぶ迫害を通して、愛を知るようにまでなったケルト民族の、最も内奥の心を見るのだ。その時、ケルト民族はやさしく夢をおのれにあてがい、薄明に妖精の歌を聞きつつ、魂や、死んでしまったものたちのことをしみじみ考えるのである。ここにはケルト民族がいる。ただ夢みているケルト民族ではあるが・・・」。
本文には、多くの妖精たちが登場します。まずイエイツに、彼らの性格や生活ぶりを紹介してもらいましょう。「彼らは気まぐれで、善人には善をもって報いるが、悪人には悪をもつて報い、非常に魅力的であるが、ただ良心-節操がない。また、とても怒りっぽい」が「一方では、すぐにおだてに乗る・・・」。「妖精の主な仕事といえば、ご馳走を食べたり、戦をしたり、恋をしたり、世にも美しい音楽を奏でることである。」
つぎに、イエイツによって分類された主な妖精たちを、紹介します。
「シーオーク」は、神聖な茨の茂みや、円型土砦(ラース)に出没する霊的存在。善良だがたちの悪い魔女の習慣がある。人間の子どもを盗み、替わりに千歳か二千歳にもなる皺だらけの妖精を置いていく。この妖精については、本文に「取り替え子」という1章が組まれています。大江健三郎氏の小説と同名です。
「メロウ」は、水の妖精で、女は美しく魚の尾をつけた人間の姿で現れ、男は緑の歯と緑の髪、豚のような目と赤い鼻をしています。女は、人魚そのものです。
「レブラホーン」は、靴直し職人の妖精で、「7つずつ二列にならんだボタンの付いた赤い上着を着て三角棒をかぶり、ときどきその帽子のてっぺんを支えにして、こまのようにくるくる回るという」。
「クルラホーン」は、レブラホーンの別名で、「酒倉に盗みに入ったり、羊や羊番の犬の背に跨って、一番中乗りまわ」します。
「ガンコナー」は、いつもパイプをくわえて、羊飼いの娘たちに言い寄って時を過ごします。
「ファー・ジャルグ」は、赤い服を着た悪戯者。
「プーカ」は、酔っ払いをいじめることが好きで、山羊や驢馬などの姿をしています。
「ドユラハン」は、最も気味が悪く、首なし馬にひかれた馬車に乗った、首なし妖精。この馬車が止まると、その家に死人が出ることの前兆。
「リャナン・シー」は、妖精の愛人で、人間の男の愛を探し求めます。「もし男が受け入れれば、男は彼女のものとなり、自分の代わりとなる別の男が見つかるまで、彼女から逃げられなくなる。」
「ファー・ゴルタ」は、やせ衰えた妖精。物を恵んでくれた人に幸運をもたらします。
登場する妖精たちの多くは魅力的ですが、なかには恐ろしいものも混じっています。善良な者と悪者、正直者と嘘つき、美しい者と気持ちわるい者、なかにはその両方を備えた妖精もいるようです。ケルト民族の血をひくアイルランドの人々の心のなかに、こうした妖精たちが元気好くあるいは不機嫌に、存在していると想像するだけで、楽しくなってきます。今夜は、エンヤの歌声に耳を傾け、遥かユーラシア大陸の、その向こうにあるアイルランド島の妖精たちのことを夢みながら、過ごすこととします。
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