ドキュメンタリー映画『花はどこへいった』
ベトナム戦争のときアメリカ軍は、ベトナム南部に大量の枯葉剤を散布しました。南ベトナム解放戦線のゲリラの隠れ場所を抹消し、彼らの食料の補給路を断つためでした。
この作品の監督・坂田雅子さんの夫、フォト・ジャーナリストのグレッグ・デイビス氏は、アメリカ軍兵士としてベトナムへ送られ、枯葉剤が原因と疑われる肝臓がんで2003年、亡くなりました。坂田さんは夫の死後、夫の戦争時の足跡を訪ねベトナムへ行きます。そこで彼女が目にしたのは、戦後30年以上たった現在なお、ダイオキシンを含んだ枯葉剤によって深刻な障害をうけ続けているベトナムの人々でした。
寝たきりの青年と母親が映し出されます。息子の年齢は35歳。ベトナム戦争末期に、誕生したことになります。1987年に生まれた障害をもつ青年の母親は、67年生まれ。枯葉剤を被った母親から生まれた子供たちです。90年代にうまれた子供たちにも、被害が広がっています。母親ではなく、祖父母が枯葉剤を浴び、その子供の父母がダイオキシンの汚染を受け継ぎ、そして孫の世代に継がれてしまったケースです。第3世代の被害です。2000年にも、障害者が生まれています。被害の多い地域では、若い夫婦は出産を怖がっています。ベトナムの枯葉剤被害は、過去のことであると同時に、現在なお進行中のことなのです。
貧しい生活をしながらも、深刻な障害を背負った子供を中心にした、やさしいベトナムのひとびとの姿に、強く打たれました。「誰のせいともいえない。戦争だったんだから」という女性は、あきらめているのではなく、アメリカの人々を許しているのだと思います。その許しのなかに、かすかな光明をみる思いでした。しかし、ベトナムの人々の許しに対して、加害者であるアメリカ合州国政府とアメリカ軍からの謝罪がいまだありません。
映画の最後の字幕には、アメリカ地方裁判所判事が、ベトナム人原告団による枯葉剤を供給した化学会社に対する訴訟を却下した、と映し出されます。
アメリカはいま、イラクとアフガニスタンで戦争を続けています。ベトナム戦争での枯葉剤は、現在の戦争では、劣化ウラン弾となります。湾岸戦争で使い始められた劣化ウラン弾は、強力かつ有効な武器としてその後、世界各地の戦争や紛争に使用されています。白血病とがんを誘引するとして、世界の多くの人々が、反対に立ち上がっています。イラク反戦集会の場で、劣化ウラン弾によって被害をうけたイラクの子供たちの写真が展示されていました。ベトナムの枯葉剤と相似の被害状況が、そこに写し出されていました。合州国政府と軍は、原爆と枯葉剤で犯した過ち、人類に対する許されざる犯罪を、再び三度、犯しているのです。
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