« ロバート・B・ライシュ著『暴走する資本主義』 | トップページ | 新自由主義の終わりの始まり-労働政策をめぐって »

2008年10月12日 (日)

再び、母のこと

P10409701  1ヶ月前に書いたように、それまで嘔吐を繰り返していたお袋は、病院での診断後、ほっとしたように嘔吐がおさまりました。末期の胃がんであるにもかかわらず、適切な医者の説明で嘔吐の原因を「胃内部にできた邪魔者」のためと正確に理解し、100歳までは生きるとの強い意欲をもって、再び普通の生活に戻ってきました。
 (ブログを書いている窓の外で、アオサギが餌を啄ばんでいます)

 先週末、姉と兄がお袋に会いに来てくれました。二人はこの夏にも来たのですが、お袋に言わせると「もう何年も会ってへんなあ。5年以上会ってへん」ということになります。だから二人の来訪は、とても嬉しいことでした。姉の顔をみるなり、いつもの自慢話が始まりました。「デーサービスで入れ歯をしてないのは私だけ」。だから食事がおいしくて、100歳以上は生きられそう、という意欲を一所懸命伝えます。5分もたたないうちに、再び入れ歯のない話。そしてまた、入れ歯。姉は冗談に、「正」の字でその回数を数えていたのですが、「正・正」となったあたりで、とうとう、吹き出してしまいました。
 昨夏まで長年一緒に住んでいた姉は、お袋の認知症が一段と進んだことに、少しショックを受けたようです。そのことを確かめるように、夕食の席で、姉自身と兄の名前を尋ねました。お袋は、二人の顔を夫々みてから正確に、姉と兄の名前を言い当てました。ではこの人はと、私の家内のほうを指さしたら、間髪をいれずに「○○ちゃん」と正答。ついでに私が指さされたところ、しばらく考え込んだ後に、お袋は大声で答えました。私の息子の名前でした。冗談なのかな、それとも本気なのかな。どちらにせよ、夕食の席は、皆で大笑いでした。その夜の母は、再び三度「入れ歯」の話も織り込みながら、姉や兄との話が楽しくて、遅くまで起きていました。
 翌朝だったか、片方の足だけ靴下を履き他方は裸足で、部屋を歩いていました。裸足のほうを指さして、靴下をどうしたのかと問いますと、靴下を履いたほうの足を差し出して、ちゃんと履いているじゃないか、と怪訝な様子。これも、冗談なのか本気なのか。でもそのあとで、みんなで大笑い。
 お袋の朝の日課は、朝5時ころ目覚め窓の外を眺めたあと、再びベットに横たわり、ウトウトとすごします。そして7時過ぎ、犬の散歩から帰ってきた家内に起され、洗顔・うがい・トイレを自らすませ、新聞に向かいます。毎朝朝日新聞の「天声人語」を読むことを楽しみにしています。週末で私が在宅の折には、お気に入りの話題だと、私に話してくれます。ほぼ正確に、「天声人語」氏の論理を紹介してくれます。このとき、母からは認知症を感じることはできません。朝食の直前には、掛かり付けの医者の指示による血圧測定をします。お袋は、家内が以前、看護師をしていたと思い込んでいます。だから、血圧測定ができるのだと。
 一見ネガティブな状態だけを書き記しますと「もうあかん」感じですが、ポジティブな様子ばかりを集めますと「100歳越え」を予感します。そのどちらも母なのですから、「あかん」ことも「100歳越え」も、お袋の現実なのだと気がつきます。私の都合で、いいとこ取りをすると、幻のお袋が登場することになります。幸福なケアーは、現実の母と向き合うことで初めて可能なのだと、あらためて感じます。
 
 

« ロバート・B・ライシュ著『暴走する資本主義』 | トップページ | 新自由主義の終わりの始まり-労働政策をめぐって »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 再び、母のこと:

« ロバート・B・ライシュ著『暴走する資本主義』 | トップページ | 新自由主義の終わりの始まり-労働政策をめぐって »

無料ブログはココログ