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2008年10月26日 (日)

エルサ・モランテ著『アルトゥーロの島』

Photo  高校2年の時だったか、若い国語の先生に誘われ、京都祇園の映画館で『禁じられた恋の島』というイタリア映画をみたことを思い出します。地中海の小さな島を舞台に、旅に明け暮れる父親が連れ帰った、若く美しい義母に、幼くも切ない恋心を寄せ、ひとり苦しむ少年を描いた映画でした。哀愁に満ちた音楽とともに、忘れがたい映画のひとつです。主人公の少年に感情移入し、もの悲しくやるせない気持ちをもったまま映画館をあとにした記憶があります。
 あれから半世紀ちかくたって、あの映画の原作に出会うことになりました。エルサ・モランテ著『アルトゥーロの島』(河出書房新社 池澤夏樹編『世界文学全集Ⅰ-12 08.10刊))。

 少年とその父親の物語です。少年の名はアルトゥーロ。母親は14年前、アルトゥーロを産んでまもなく亡くなりました。父親のウィルヘルム・ジェラーチェは、子育てを子守役の少年にまかせ、いつも旅の人です。少年は孤独で、愛犬が唯一の遊び相手でした。父は、背丈が大きく真珠のような白い肌をし、眼は紫色を帯びたトルコブルーをしていました。そのような父は、少年にとって太陽と月の兄弟のような英雄であり、神秘的な存在でした。
 親子でボートに遊ぶシーンがあります。父が櫂を漕ぎ、少年が舳先から航路を見守っています。「いくどか、天にも昇るような幸福に酔いしれて我を忘れ、気持ちが大きくなって命令を出してしまったこともある。「頑張れ!右を漕げ、次は左だ!行け!」と。しかし、父が目をあげてぼくのほうを見るだけで、その無言の輝きは我が身の小ささを思い出させ、ぼくは巨大なイルカのまえのちっぽけなイワシのように感じてしまうのだった」。どこにでもある父と子の風景ですが、父親の無関心と息子の父親に対する畏敬のような態度が、対照的です。
 アルトゥーロにとって父の旅は、勇ましい冒険の数々でした。父の大切にしている防水の腕時計は、栄光の東方に住む「アルジェリアの短剣」と名づけた友人からもらったものだと信じます。父ウィルヘルム・ジェラーチェの旅は、少年の心のなかに、アレキサンダー大王のような英雄神話を育んでいきます。
 ある冬の午後、父は新しい妻をともなって旅から帰ってきました。少年とは2つ違いの少女のような継母ヌンツィアータは、信仰心の篤い、素朴で平凡なナポリ娘でした。ただ少年には、眼の美しい少女の印象を残します。出会ったその日、二人は親子としてではなく、少年と少女として、後々まで忘れることのできないほど幸せな、おしゃべりを楽しみます。しかしヌンツィアータは、父の妻としてやってきたのです。父と継母はいつも行動をともにし、少年は、父からも継母からも孤立していきます。時がたち退屈さに苛立つ父とその責任を継母に負わせる少年。少年の継母に対する恨みと怒りがつのります。それは、父を奪われた嫉妬心でもあったのです。結婚当初は頻繁に帰ってきた父も、だんだんと不在の日が増えてきました。身ごもった継母と二人だけの生活がつづきます。妊娠により変化してきた継母に、実の母親のイメージが重なり、継母への哀れみと不安な気持ちとが入り乱れます。父の不在のまま無事出産を終え、継母の死の恐怖から解放された少年は、歓喜と幸福感にひたります。少年に向かって微笑む継母をみて「突如ぼくには豪奢きわまりない奇跡的なことに思え、島が神々でいっぱいになったような気がした」と振り返ります。
 父は、弟の生後1ヶ月ほどして帰ってきました。父は、孤独な亡命者のように打ちひしがれ、別人のようになって帰ってきました。赤ん坊の泣き声に、狂ったように罵言を投げつけ、暗澹たる思いを爆発させます。しかし、父の謎めいた悲劇は、継母と弟カルミネ・アルトゥーロの幸福を奪うことはありませんでした。彼女は生気に満ちて輝き、美しさに花開いたようです。彼女がカルミネをあやすのをみていて、母親をもつことの幸福を知るとともに、強烈な嫉妬心を覚えます。彼女は子供に、「山のようにたくさんのキス」をします。しかし、「ぼくはキスなど一度もしたことも、してもらったこともないというのに!」。アルトゥーロの継母への思いは、母を追い求める思いであると同時に、女性としてのヌンツィアータへの淡い思いを含むものでした。
 ここへきて、この小説には基調低音のように、「母と子」の関係が語られていたことに、気がつきました。妻と息子を前に、父親が自分の持つ「母親」のイメージを語ったシーンを振り返ってみます。祖父アントニオ・ジェラーチェは、ドイツで短期間働いたあとアメリカへ移民しました。移民生活の初期に関係しやがて捨てた若いドイツ人女性の小学校教師との間に生まれたのが、父ウィルヘルム。ウィルヘルムが16歳の時、その母は死亡し、やがて故郷に帰った父親アントニオに引き取られました。
 「ほかの女たちからは逃げられる可能性もある。・・・・・・が、母親からは誰が救ってくれるというのだ?母親は神聖という悪癖をもっている・・・・。そして息子を産み落としたという罪を飽かずにあがないつづけるのだ。そして生きているかぎり、その愛とかいうもので、息もつかせてくれないんだ。・・・・・・あいにく息子となってしまった哀れな人間だけが、彼女の唯一の運命で、ほかにはなにひとつ愛するものなどないのだ。ああ、幸福も人生も自分自身すら愛さず、息子しか愛さないものに愛されるなんて、地獄そのものだ!」。
 しかし、母親をののしる父の息子である私には、生まれたときから母親はいない。継母が弟にするキスをみていて想像します。「もっと素晴らしいキスを期待して、そのための一種の呪いのように、想像のなかでさえ、キスを受けるのを拒むことにした。人はキスのほんとうの幸福を知ることなどできないのではないかと思われた、いちばん最初の、いちばん甘美なキスを知らなかったなら。母親のキスを知らなかったなら」。想像のなかで母親からの甘美なキスを感受しますが、その母親は、写真の母ではなく、継母その人でした。想像の幸福感に浸る一方で、この羨望のキスを受けている弟への嫉妬心がたかまり、復讐したくなります。何とか母の気持ちを自分に向けたい。継母に遺書を書き、自殺を図ります。そして・・・・・・・・。

 小説の前半はこのように展開し、このあと、少年と継母との切なく哀しい「禁じられた恋」が語られます。また父親が、神話から現実の世界に引き戻され、やがて少年は、父からも母からも巣立っていきます。「少年とその父親の物語」であったこの小説は、三人の母親たちの物語でもあります。少年の祖母と母と継母。著者のモランテが書きたかったテーマも、この母たちの物語だったのではないでしょうか。
 

 

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