ジャン・ルオー著『名誉の戦場』
実家の古いアルバムには、亡くなった父の軍隊時代の写真が、何枚かあります。その中の一枚には、大きな鳥居を背景に深い積雪を踏みしめる馬上の軍服姿の父が写っています。「昭和11年 北海道大演習 弘前にて」と記されていました。別の写真には、結婚したばかりの父と母が、高齢の鼻筋の通ったきりっとした感じの女性と父母よりやや上くらいの都会風の男性とともに、無表情にカメラに向かっています。男も女もみんな着物姿です。親戚の誰かなのでしょう。これらのセピア色の古い写真は、家族の歴史の断片を、静かに物語ってくれます。
ジャン・ルオー著『名誉の戦場』(河出書房新社 池澤夏樹編「世界文学全集」Ⅰ-10)は、フランス西部の小さな町に住む、何処にでもあるごく普通の、ある家族(著者ジャン・ルオーの家族)の肖像を小説化したものです。まるでわたしの家族にも有り得たような、決して特別でも何でもない、小説世界です。
ぼくら(ジャン・ルオーと姉・妹の3人のきょうだい)のおじいさんとおばあさん(ママの両親)、パパの側の祖父母とその兄弟や妻たち、そしてこの人たちを取り巻く人々が、この小説の登場人物のすべてです。このなかで、ママ側のおじいさんとパパ側のおばちゃん(本当は大伯母)が、主な主人公です(みんなが主人公なので)。
舞台は、ロワール地方のナント。ブルターニュ半島の南側の付け根に位置します。ここは、雨の地。ルオーは9ページにわたり、故郷の雨模様を描写します。例えば次のように。
「満ち潮に降る雨、これは本当の意味の雨ではない。水の粉末、瞑想的な小音楽、倦怠へのオマージュだ。顔を軽くなで、愁眉を開かせ、悩みごとからしばし解放してくれる雨の優しさ、そこには慈しみがある。雨は密やかに降り、人はその音も聞かず、それを見ることもなく・・・・・」。こんな優しい雨ばかりではありません。「大西洋から吹きつける暴風に押されて、雨は斜めから打ちつける。これは顔をびしびし打つ金属の屑、人を突き刺し、打ちのめす水の矢だ。頬も鼻も手もまっ赤になる」。
時代イメージが、おじいさんとおばあさんの結婚に寄せて、語られます。二人は1912年に、24歳と25歳のときに結婚しました。するとおじいさんは、1888年生まれになります。そのおじいさんの「やったぜジジィー」と思わず叫びたくなるような逸話。引退後の夏、南仏の娘(ママの姉妹)のところで静養していたとき、行方不明騒ぎをおこします。消防隊や多くのボランティアの人たちの懸命の捜索の結果、無事発見されました。おじいさんは、熱帯植物園で気根をもつベンガル菩提樹や珍しい火炎木を見てきたと弁解しますが、本当は、「ルヴァン島。ヌーディストの天国」へ行ってたのです。ぼくらは「おじいさんやりすぎだ」と思い、おばあさんは「事件を漏らさないように」家族に命じます。一年もたたないでおじいさんは、「秘密を自分といっしょに墓場までもっていくものと信じきって」亡くなりました。どこにでもありそうな、ささやかな家族の秘密は、私たち読者の心を引きつけ、ジャン・ルオーの世界へと誘います。
マリーおばちゃん。ぼくたちのパパ側の祖父の姉、大伯母さん。信仰心が篤く、絵画と詩作もすぐれた女教師でした。おばちゃんは、ぼくたちの家の庭先の平屋に住んでいました。祖父のピエールが、「第一次大戦の災禍のあと、数が減ってしまった家族部隊を再編成するため」に、おばちゃん(祖父の姉)の家を作ったのでした。日本でも恐らく同時代には、このような兄弟・姉妹の緊縛した関係があったと思います。場所の隔たりよりも時間の隔たりの大きさを痛感します。
おばちゃんを理解するために、いくつかの逸話を取り上げておきます。
おばちゃんは、聖女の衣類に触れた布の切れ端を大事にもっていて、ぼくらの誰かが病気になると、ママに隠れてこの布切れにキスをさせたり額をぬぐったりして、治療するのでした。パパがボールペンの出現を熱狂的に支持したのにたいして、おばちゃんは、それは「デカダンスの時代の扉をひらくもの」として拒み、ペンに固執します。「紙の上をかりかりと走るペンの音、ペンがインク壺のなかでたてるキツツキのようなちっちっという音、インクを乾かすために吸取紙の上をこする手の音」。著者ジャン・ルオーはきっと、この小説を万年筆で書いた、と想像します。著者ルオーが、小さな日常生活の断片のなかに、小説の素材を適確に汲み取っていくのに、感心します。
パパは、41歳の若さで亡くなります。著者の年譜では、1963年父ジョゼフ急逝、とあります。おばちゃんはパパ(甥)の死に衝撃をうけ、忘我状態となります。二人のジョゼフの死が、おばちゃんに襲いかかったのです。もうひとりのジョゼフとは? 1916年5月、弟のジョゼフが21歳で息を引取っています。第一次世界大戦でベルギーで塹壕にいるところを毒ガスをあびて負傷し、故郷に帰って死亡。必死の看病と神への祈りのなかで、「マリーは、夜、自分のからだの芯に広がる欲望を、自分の女としての血を差し出した」のです。おばちゃんはこのとき26歳。最後の月経以後、自己放棄の日々をおくります。パパの死後おばちゃんは、甥と弟の二人のジョゼフの間を、過去と現在の間を行ったの来たりして、そして遂に3月19日の聖ジョゼフの日に、亡くなります。もうひとりの弟エミールは1917年、激しい戦闘のなかで戦死、無名戦士として葬られました。1929年の厳冬期、ぼくたちの祖父ピエールが、無名戦士として葬られた兄エミールの遺骨を探しに出かけ、そして・・・。
ジャン・ルオーの『名誉の戦場』は、こんな小説です。家系図と年譜を書きながら読みすすめていくと、おぼろげながら、人と人の関係が明らかになってきます。1952年生まれのジャン・ルオーの祖父母の時代が、小説に蘇ってきます。戦争の世紀といわれた20世紀の、始めのほうの戦争が、忽然と現われます。どこにでもありそうな、平凡ともいえるフランス人家族の日常生活とそこにひきづられている歴史に、はるか遠くの日本の私たちとの、経験の共通性を強く感じさせます。
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