« ジャン・ルオー著『名誉の戦場』 | トップページ | 下仁田戦争と島崎藤村 »

2008年11月30日 (日)

上州下仁田 蒟蒻の里 を訪ねて

P10502951  昨晩ひとり泊まった4才の孫娘を息子夫婦の家に送りとどけ、その後久々に、下仁田町へ足を伸ばしました。下仁田町の手前、富岡市南端の野上に、見事な干し柿を吊るした農家がありました。晩秋の青空に、ハチヤ柿の渋い柿色が映えていました。群馬では、自家用程度の干し柿はどこにでもありますが、これほど多く吊るしているところは、あまり見かけません。

P10503131

 晩秋から初冬にかけての下仁田町の農家は、多忙です。蒟蒻芋と下仁田葱の収穫最盛期になるためです。下仁田の小さな町並みを通りすぎ、姫街道(国道254号)を内山峠に向かって走っていくと、道路沿いの畑で農家夫婦が、蒟蒻芋の収穫作業の最中でした。お邪魔しますと声をかけると、こんにちはと明るい返事が返ってきました。今年は、1990年以来の、ひさびさの高値で、農家も一息といったところです。P10503081
 蒟蒻は、乱高下の激しい相場で知られていますが、ここ20年ばかりは、相場低迷が続き、栽培面積は半減するまでになりました。全国の生産量の9割近くを占める群馬県内でも、富岡市や下仁田町などの西部地区での減反が、目立ちます。P10503171
 蒟蒻芋から出てきた突起状のものを生子(きご)といい、この生子をもいでタネとします。翌春、これを畑にまき、10月下旬から初冬にかけて収穫したものが1年生の種芋。そして翌々春、1年生種芋を同様に畑にまいて、その秋に収穫したものが写真の蒟蒻芋です。帰り際にいただいた蒟蒻芋を測ってみると、直径15㌢・高さ12㌢の大きさでした。現在では、この2年生を原料に、蒟蒻精粉をつくっています。P10503591
 昔はまず、輪切りにした蒟蒻芋を、わら紐に結わえて冬の乾風にさらして干し、荒粉(切干蒟蒻)をつくりました。この荒粉を水車を利用した臼と杵で突いて、デンプンとマンナン(蒟蒻粉)を分離し、この蒟蒻粉から製品をつくっていました(写真の水車小屋は下仁田町役場の駐車場にありました)。現在では、蒟蒻芋を機械で薄くスライスし重油で乾燥させて荒粉をつくっていますし、製粉機も臼・杵時代は卒業して性能のよい製粉機に替わっています。
 先ほどの農家から蒟蒻の品種について聞きました。アカギオオダマ(赤城大玉)、ハルナグロ(榛名黒)、ミョウギユタカ(妙義豊か)。これが多収穫・優良品種御三家だそうです。そして最近、御三家の上をいく新しい品種ができました。その名も、ミヤママサリ(三山優り)。赤城山、榛名山、妙義山を上州三山と地元では称しますが、これら三山をも優っている品種、というわけです。以前富岡地区には「シナ種」と呼ばれた品種があったのですが、この地区の生産の後退とともに栽培面積は大幅に減ったようです。「支那」という言葉が、中国嫌いの人たちが使用する以外はほぼ死語となっているので、「シナ種」には大変違和感があったのですが、他の品種に代っていくことで、この懸念もなくなりつつあるのだなあと、農家の話を聞きながら考えました。

« ジャン・ルオー著『名誉の戦場』 | トップページ | 下仁田戦争と島崎藤村 »

コメント

 里山のフクロさんの記事を興味深く拝見しました。
小生も、自家用程度に蒟蒻芋を作っていますが、病気に弱く生育途中で枯れてしまいます。ミヤママサリが病気に比較的強いそうですが、種芋を入手する方法があったら教えて下さい。


   

里山のフクロさんの記事を興味深く拝見しました。
小生も、自家用程度に蒟蒻芋を作っていますが、病気に弱く生育途中で枯れてしまいます。ミヤママサリが病気に比較的強いそうですが、種芋を入手する方法があったら教えて下さい。


   

投稿: 2012年12月 7日 (金) 14時27分

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/155294/43276111

この記事へのトラックバック一覧です: 上州下仁田 蒟蒻の里 を訪ねて :

« ジャン・ルオー著『名誉の戦場』 | トップページ | 下仁田戦争と島崎藤村 »