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2008年12月31日 (水)

2008年の大晦日

  2008年が、暮れていきます。NHKの夜7時のニュースで、日比谷公園で年末年始を生き抜いていこうとする年越し派遣村のことが報道されていました。40歳余の参加者の1人は、派遣を打ち切られ、まともな食事もせずに公園にいたところを、派遣村のことを聞きかけつけたとのこと。ひさびさの暖かい食事にありつき、「こんなにありがたいことはない。必ず恩返しをしたい」と語っていました。不当にも馘首した会社への恨みではなく、派遣村とボランティアのひとたちへの、心の底からの強い感謝の気持ちを表していました。

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2008年12月28日 (日)

東アジア文学フォーラムのこと

 黄晳暎(ファン・ソギョン)著『パリデギ』の「あとがきにかえて」に、翻訳者の青柳優子さんが、「第1回東アジア文学フォーラム」のことに触れています。黄晳暎さんは、このフォーラムに積極的に参加し、貴重な発言をしています(後述)。
  私は昨年の暮れ読んだリービ英雄さんと大江健三郎さんの対談で、このフォーラムが話題になっていたのを思い出します(リービ英雄著『越境の声』所収 岩波書店07.11刊)。このなかで、リービ英雄さんは、「西洋の近代文学とは違ったもう一つの近代文学の大きな可能性の空間として、東アジアという空間がとても必然的なものになってきている気がします」と発言し、大江さんは、「東アジアをみたとき、経済的構想は大きく進み、政治的構想は行き詰っていますが、第三の、文化的構想というもののノロシをはっきり上げておきたい」と受けています。

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黄晳暎著『パリデギ 脱北少女の物語』

Photo 少女の名は、パリ。7人姉妹の末っ子で、一度は森へ捨てられた子。「パリデギ=捨てられし者」から名づけた祖母は、「パリ王女(デギ)」の意味を含意させていました。パリ王女は、両親と世の中の人を助けるために、日の沈む西天にある生命水を汲みにいってみんなを救った、という説話の主人公。祖母が、少女パリに託した救済への希望です。
 韓国の越境の作家、黄晳暎(ファン・ソギョン)著『パリデギ 脱北少女の物語』(岩波書店 08.12刊)が翻訳・刊行されました。。

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2008年12月21日 (日)

リービ英雄著『仮の水』

Photo  「分離帯からその黒い物体が離れた。
 後ろ脚で直立した黒い鹿のように見えた。
 黒い鹿が、一瞬首をまわしてから、直立のまま車線の中へ走り出した。走り出したとき、上着もズボンも黒い、やせた男だということと、五十歳ほどの年齢も分かった。
 ノンミン!と運転手がするどく叱る声をもらした。」  (リービ英雄著『仮の水』(講談社 08.8刊)より)
 高速道路とそこを横断する農民。越境の作家リービ英雄が日本語でとらえた現代中国の一断面です。先に読んだ水村美苗さんの「日本語を母語としない人でも読み書きしたくなる日本語」(『日本語が亡びる時』)を想起させるような、英語を母語とする日本文学作家による、美しく歯切れのいい日本語作品です。

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2008年12月16日 (火)

加藤周一さんの遺した言葉

Photo 評論家の加藤周一さんが12月5日、亡くなられました。1970年代から幾冊かの評論集を読み、最近では朝日新聞の「夕日妄語」を楽しみに読んできました。これらの作品は私にとって、それぞれの時代の日本と世界の出来事や事象を読み解く、羅針盤のようなものでした。古今東西の思想と文学と芸術をこよなく愛し、言葉の力を信じ、平和を求め続けた、まさに現代日本を代表する偉大な知識人でした。
 日曜日夜、NHKのETV特集「加藤周一 1968年を語る~『言葉と戦車』ふたたび」が放映されました。加藤さんは、入院直前の今年夏、「どうしても語り伝えたいことがある」としてインタビューに応じ、1968年を思い起こしながら、閉塞感に押し潰されようとする現在の日本と世界の人々に、最後のメッセージを遺されました。加藤周一さんへの哀悼の気持ちをこめて、インタビューで語られたメッセージを、書き留めておきます。

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2008年12月14日 (日)

安積(あさか)開拓発祥の地

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 今年の6月、猪苗代湖へ行ったとき、安積疎水の取水のための水門-十六橋水門と上戸水門-を訪ねました。いつもながら、仕事の合間をみての見学なので、一度には全体を見ることはできません。取水口の次には、安積疎水の中間水路と安積開拓の地を見たいと思っていましたが、思いのほか早く、そのチャンスがやってきました。この水曜日、郡山市内の安積開拓発祥の地にいきました。

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2008年12月13日 (土)

おゆうぎ会とボッカッチョ

P10504501_2 腰が痛くて眠れなかったと、お袋はややむくんだ不機嫌な顔で訴えました。ここしばらくは数日おきに、腰痛で苦しんでいます。この夏、医者から末期の胃がんだと知らされたときには、12月の95歳の誕生日が迎えられればと願ったのですが、幸い来週末にその日がやってきます。腰痛がたんなる腰の痛みであることを祈るばかりです。
 4才の孫が通う保育園の「おゆうぎ会」へ誘ったら笑顔がもどり、是非行ってみたいとのことで、家内ともども、甘楽町文化会館へ行きました。

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2008年12月 7日 (日)

水村美苗著『日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で』

Photo 言葉の有史以来の異変。
 そのひとつ。地球にある六千の言葉の八割が今世紀末までに絶滅すると予測されていること。
 二つ目の異変。普遍語としての英語が、世界全域で流通し始めたこと。
 では日本語は、亡びるのだろうか。亡びることを避けるためには、何をすべきか。
 著者の水村美苗さんの、本書上梓の問題意識は、以上のことに尽きます。内容は、表題どおりに挑戦的であり刺激的ですが、論旨は明快で説得力があり、奥が深くかつ広大な言葉の世界に、思わず引き込まれました。

 

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2008年12月 6日 (土)

下仁田戦争と島崎藤村

P10503421  前回は、先週の日曜日に下仁田町を訪ねたことを、書きました。この日コンニャク畑からの帰路、下仁田町内に寄り、ネギとコンニャクとは別の、もうひとつの下仁田を見ることになりました。
 町の歴史民俗史料館から、狭く急な階段を下りていくと、「高崎藩士戦死之碑」という石碑がありました。この碑に隣接して、小さな自然石に文字を刻んだ、もうひとつの碑がありました。島崎藤村の詩碑です(写真左奥の二個並ぶ内の左側の石)。

 

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