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2008年12月14日 (日)

安積(あさか)開拓発祥の地

P10503961

 今年の6月、猪苗代湖へ行ったとき、安積疎水の取水のための水門-十六橋水門と上戸水門-を訪ねました。いつもながら、仕事の合間をみての見学なので、一度には全体を見ることはできません。取水口の次には、安積疎水の中間水路と安積開拓の地を見たいと思っていましたが、思いのほか早く、そのチャンスがやってきました。この水曜日、郡山市内の安積開拓発祥の地にいきました。

P10503981 郡山駅の西3kmほどのところに、広大な開成山公園があり、その北西端に高い塔が建っていました。安積開拓のモニュメント「開拓者の群像」(三坂耿一郎 1992年作)です。左から、中條政恒、大久保利通、ファン・ドールンそして開拓農民家族。米沢藩士だった中條政恒は、福島県の官吏となって、安積開拓の先鞭をつけました。中條の働きかけをうけた大久保利通は、安積開拓を国営事業として拡大し、その一環として安積疎水を、オランダ人技師ファン・ドールンの調査・設計により建設します。P10504301
 公園から郡山女子大学側に道路をわたり、安積野開拓顕彰碑をみながら開成館へいきました。この建物は、安積開拓の歴史に欠くことのできない建築物です。1874年(明治7)旧福島県の地方役場として開設され、開拓掛も併設されました。その後の開成館の歴史がおもしろい。1884年開成農学校、1894年桑野村役場、P105043111924年郡山市制施行により村役場廃止、戦後の住宅難時代には市営住宅、1960年福島県重要文化財指定、そして現在は開拓史料館となっています。地元の大工が洋風を擬して建てた、和洋折衷の奇妙な建築物です。建物の中には、開拓当時の農機具や生活用具が、きれいに整理されて展示されていました。P10504181
 安積開拓発祥の地には、開成館のほか開拓官舎と入植者住宅が、移築されていました。写真は、「福島県開拓掛」の官舎の1棟です(旧立岩一郎邸)。開拓掛の事務所は、開成館の2階にありましたが、職員の一部は、官舎に住んでいました。史料館の壁に貼ってあったパネルには、開拓の歴史が記されています。P10504231
 最初は、地元二本松藩の士族が入植しますが、国営開拓になってからは全国各地から旧士族たちが、入植しました。500家族2000人の人々です。遠くは、久留米藩から141戸の旧士族が、1878年(明治11年)に入植しています。このほか、土佐、松山、岡山、米沢、棚倉、会津、鳥取の各藩から入植しました。明治政府の殖産興業と士族授産(失業対策)のための、最も早い時期の開拓でした。入植者の住宅(旧小山家)は、土間(6畳)・板の間(5畳)・座敷(8畳)と狭く、座敷には、莚(むしろ)が敷いてありました。
 
 安積開拓地の一帯は、現在、郡山市の住宅地となっており、130年前にはいまだ荒れ果てた開拓地であっことが信じられません。ただ開成館や開拓モニュメントのみが、開拓の歴史を、今に伝えてくれています。

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