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2008年12月28日 (日)

東アジア文学フォーラムのこと

 黄晳暎(ファン・ソギョン)著『パリデギ』の「あとがきにかえて」に、翻訳者の青柳優子さんが、「第1回東アジア文学フォーラム」のことに触れています。黄晳暎さんは、このフォーラムに積極的に参加し、貴重な発言をしています(後述)。
  私は昨年の暮れ読んだリービ英雄さんと大江健三郎さんの対談で、このフォーラムが話題になっていたのを思い出します(リービ英雄著『越境の声』所収 岩波書店07.11刊)。このなかで、リービ英雄さんは、「西洋の近代文学とは違ったもう一つの近代文学の大きな可能性の空間として、東アジアという空間がとても必然的なものになってきている気がします」と発言し、大江さんは、「東アジアをみたとき、経済的構想は大きく進み、政治的構想は行き詰っていますが、第三の、文化的構想というもののノロシをはっきり上げておきたい」と受けています。

 「アジア市民意識の高揚のために」と題されたフォーラムの開催趣意文には、「東アジアの市民たちが置かれている苦境を文学の窓を通して考えてみたいと思う。それぞれの国の文学者が抱えている困難を互いに理解し合うと共に、未来への希望の声に耳を傾けることによって、私たちはアジアの人々の文学を、そしてアジア市民たちの明るい未来を眺望することができるだろう」と格調高く、宣言しています。
 9月29日~10月4日の会期中の模様については、朝日新聞が、二回にわたり記事にしています。「日本・韓国・中国の文学者が語り合う「第1回東アジア文学フォーラム」がこのほど、韓国のソウルと春川で開かれた。日本からは島田雅彦氏を団長に井上ひさし、津島佑子、平野啓一郎、綿矢りさ各氏ら12人、韓国からは黄晳暎(ファン・ソギョン)、申京淑(シン・ギョンスク)、中国からは莫言(モー・イェン)、鉄凝(ティニエン)の各氏らが参加した。フォーラムは隔年で継続的に開催する予定で、3国の代表的な文学者が連帯に向けて動き始めたことは意義深い。(朝日新聞11/4記事より)。」
 黄晳暎氏の発言を、『パリデギ』の「あとがきにかえて」から引用しておきます。
 「かつて竹内好は魯迅の例を挙げ、西洋に対して「抵抗しながらともに変化する」という話題を投げかけている。日本はどのようにして過去を脱し、アジアの中で自らのアイデンティティを新たに見つけ出すことができるのだろうか。中国は今後の近代化の過程で数多くの周辺諸民族と平和的に共存しながら、どのようにして自らの大国主義的な誘惑を振り切ることができるのだろうか。韓国はどのようにして冷戦の博物館的な遺産を振り払って平和な一つの共同体へと、自らの近代を終わらせることができるのだろうか。」

 日・中・韓の間の人の交流は、過去に例を見ないほど活発です。中国の映画や韓国のテレビドラマは、最早、日本社会の日常風景とすらなっています。酒席でテレビ番組の話題などしたことのない私は、韓国ドラマ「チャングム」について、二箇所の酒席でどちらも60前後の男性の友人から、いささか興奮気味に話を聞く経験をしました。観光地で、中国や韓国の客に出会うことも珍しくなくなり、東京のJR線車中でも、中国・韓国の留学生や労働者に日常的に出会います。ただ、金融危機後は、情勢は大きく変わってしまいましたが。
 こうした交流は、広まれば広まるほどよく、深まれば深まるほど、なお良いことです。しかし時として、右派の政治家や知識人たちの、日本の犯した過去のあやまちを忘却し、誤った愛国主義を吹聴しょうとする動きが、いまだ絶えることはありません。そうした妄動を許してしまう弱さを、日本社会が持っているといわざるを得ません。どうしても過去を脱することができないのです。いまこそ真摯に、「歴史」と向き合うべきです。このためには、今緒についたばかりの日・中・韓の歴史共同研究は、極めて重要なことです。そして、東アジア文学フォーラムで追求されるだろう、文学の窓を通した「歴史の記憶」についての共同作業に、大いに期待したいところです。例えば、司馬遼太郎は日露戦争を『坂の上の雲』に描きました。韓国と中国の作家は、日露戦争をどのように描くのでしょうか。
 世界金融危機に端を発した経済不況が、東アジアの国々にも共通して、暗い影を落としています。職を奪われ失業者となり、住まいを失いホームレスとなった人びとの姿が連日、テレビ報道されています。地方の疲弊も、日・中・韓3ヶ国例外なく、進行しています。こうした東アジアの人々を同時に襲った苦境を、文学はどう表現していくのか。グローバル化の波は否が応でも、国境を越えていきます。
 私は近い将来、この東アジア文学フォーラムに、日・中・韓3ヶ国の文学者に加えて、例えば台湾の、モンゴルの、シベリアの、さらにアセアン諸国の作家たちが参加し、文字通りの東アジア文学フォーラムとなっていくことを期待します。そうすれば、「東アジア文学全集」の刊行も、夢でなくなります。
 ところで「東アジア文学フォーラム」で語られる言葉は、何語なのでしょうか。朝日新聞記事では、「同時通訳の事情もあって意見陳述とそれに対するコメントという形式に終始、反論の交換には至らなかった」と報告しています。日本語、中国語、韓国語での意見交換だったということでしょう。侵略による支配・隷属という歴史があるにもかかわらず今日現在、共通語がないのは、幸いとしなければなりません。日・中・韓の間の、言語的な優越関係が現在、解消した証拠だからです。しかし、同時通訳でのやりとりの限界も目に見えるようです。やはり共通語としては、英語に頼らざるを得ません。日本人と韓国人が、韓国人と中国人が、中国人と日本人が、そして日本人と中国人と韓国人が、英語を使ってコミュニケーションする時代が、すぐそこに来ているようです。 
 

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