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2009年1月11日 (日)

F.L.アレン著『オンリー・イエスタデイ』

 トヨタ自動車の赤字転落やウェッジ・ウッド倒産のニュースが、世界を駆け巡ります。突然の解雇通知で職と住を失った日本各地の派遣労働者、家を失いテント生活を余儀なくされたアメリカのサブプライムローン破綻者、そして失業によって故郷へ帰る中国農民工など、世界中の労働者の苦難の姿が、日々伝えられます。アメリカ発の世界金融危機が、大不況を予感させる経済危機へと深化し、拡大してきました。そして、アメリカ国民は既に、オバマ次期大統領の”CHANGE“に賭けることを決意し、1月20日の新大統領誕生を、大きな期待感をもって待っています。しかし、不遜にして愚昧な、決断のできない首相が居座り続ける日本では、閣僚が「定額給付金」をもらうかどうかの脳天気で国民を愚弄した議論を、ヘラヘラとやっている有様で、派遣村の運動に希望を見出しつつも、政治への閉塞感が、耐えられないほどに漂っています。大不況を食い止められるか否か、政治は断崖絶壁のキワに立たされているのです。
 先に読んだガルブレイス著『大暴落1926』(日経BPクラシックス)に引き続き、F.L.アレン著『オンリー・イエスタデイ』(ちくま文庫 93刊)を読みました。ネチズンカレッジの加藤哲郎さん推薦の大不況関連書籍のひとつ。1918年の第1次世界大戦終結の日から1929年の株価大暴落にいたる11年間の、アメリカ社会の変容が、ジャーナリスティックな筆致で克明に描かれます。

 この10年余の間に、アメリカ社会は一変します。
 終戦直後の1,2年は、一方でウィルソン大統領の理想主義的な平和外交があり、他方で過激な労働運動や極端な反共活動がありました。どちらも戦争中の緊張と高揚感を引き継ぐものでした。しかし、前者は現実主義のもとに挫折し、後者はK・K・K団の直接行動などもあってパニック状況を呈しましたが、やがて「赤」の脅威は消え、極右愛国主義者たちの運動も下火となります。「人びとの気分が、平和時の気分に移行しはじめた」のです。いかにしてくつろぎ、楽しむかが国民の大きな関心事になったのです。1921年には、新しい玩具、流行、スキャンダルが出現し、人びとはそれらに熱中します。ラジオの出現、スポーツ・美人コンテスト・ゴルフ・麻雀などへの熱中、スポーツと犯罪とセックスを扱うタブロイド版新聞のブームなど。冤罪の疑念をもたれたサッコ=ヴァンゼッティ事件が、人びとの同情をかきたてたのも、この時期でした。
 女性の解放と若者のモラルの革命が並行して進みます。女性は、スカート丈を徐々に短く、断髪にし、口紅をつけ、人前で化粧直しまでやってのけます。ヘベレケに酒を飲み、公然と煙草を喫い、ペッティングパーティーもお好みです。これは、「既成のアメリカ秩序に対する最大の反乱」だとアレンは断言します。何故、この革命が起きたのか。その1つは、戦争の影響。何百万人もの青年が、戦争でかき乱された神経を、「スピードと興奮と情熱」で沈めようとしていました。ふたつめは、女性の解放。女性参政権、家電製品の普及による家事労働からの解放、そして女性の就業化によって、女性は「自分自身のために生きる」ようになりました。禁酒法は、もぐり酒場に女性を誘い込み、自動車の普及は、両親や隣人たちの目の届かないところへ自由に出かけていくことを可能にし、セックス雑誌・告白雑誌・映画雑誌は、「新しい道徳律の宣伝係り」をつとめます。
 こうしたモラル革命の産業への影響についての記述は、おもしろい。短くて薄い服を着用し、化粧と短髪が拡がった結果、木綿業者は斜陽化した反面、化粧品会社と美容室は、莫大な利潤を手にしました。美容関係の所得税納税者は、1917年にたった2人だったのが27年には18000人になりました。そしてアレンは言います。「新しい道徳律は戦後の幻滅感のなかから生まれた。・・・この10年間を無作法な時代というならば、それは同時に不幸な時代だともいわねばなるまい。人生に意味を与え豊かにしていた価値体系は、古い秩序とともに失われ、それに代わる価値は容易に見つからなかった」。
 しかしこの「不幸な10年間」といっても、1923年から29年までの7年間は、「繁栄という名の楽隊車(バンド・ワゴン)が、大通りをねり歩いた」時期でした。実業家は、政治家、宗教家、哲学者を追い出して、「アメリカ社会を指揮する究極的権威」となった時期でした。この繁栄のバンド・ワゴンに乗っていた農民はごくわずかで、酪農家や果実・野菜を栽培する農園主のほかは、没落し離農して都会へ出て行きました。
  自動車産業は、技術革新、デザイン改革および道路・ガソリンスタンド等のインフラ整備のために、飛躍的に拡大します。乗用車数は、1919年合州国全体で677万台だったのが、29年には2312万台までに増加しました。鉄道沿線の村々がさびれ、国道沿いの村々が活気づいたのは、今日の日本と同じ現象です。
 ラジオ製造業者は、パンドラ・ワゴンの若手乗客のひとり。1920年秋までは、大衆向けのラジオ放送はなかったのが、年間売上総額で、22年6000万ドル、25年4億3000万ドル、29年8億4254億ドルと驚異的な伸張をみせます。これは、現在のIT産業につながる情報産業のはしりともいえます。このほか、繁栄のパンドラ・ワゴンに乗っていたものは、レーヨン、紙巻煙草、冷蔵庫、電話、化粧品などの製造業者に、チェーンストアやデパートの流通業者が加わりました。
 1920年代、何が合州国をこのように繁栄させたのか。アレンはいいます。
 1.大戦はヨーロッパを疲弊させたが、アメリカは損害なしだった。
 2.物的・人的な巨大な資源に恵まれ、広大に国内市場を持っていた。
 3.機械化・分業化による効率的な大量生産が可能となった。
 4.これにより高賃金・低価格、規格品生産を可能としたフォード式生産方式により、自動車産業は好景気と大量雇用を実現し、他部門を牽引した。
 5.月賦販売と株式市場投機という、将来を担保にする二つの購買力促進剤の登場。
 6.最後は、セールスマンと広告業者の登場。
 では、この繁栄のパンドラ・ワゴンの運転手は誰か。23年に合州国大統領に就任し、5年7ヶ月の間ホワイト・ハウスの主であったカルヴィン・クーリッジがそのひとです。クーリッジの信念は、「なるべく出しゃばらぬようにすることと、金持ちの税負担を軽減することが、この国全体の利益になる」、つまり自由放任主義でした。
 クーリッジ景気はまず、フロリダでの土地投機熱を引き起こします。1925年、フロリダの温暖な気候や田舎の自由な陽光への憧れに、自動車での自由な移動も手伝って、爆発的なフロリタ・ブームとなります。当初は、別荘等を手に入れて住むことを目的としていたのが、そのうちに一攫千金をねらう投機へと変わります。フロリダ州ならどこのどんな土地でもよかった。ところが早くも26年春には、土地ブームは崩壊し始めます。そして400人もの死者を出したハリケーンに襲われ、万事休すとなりました。しかし、クーリッジ景気は、へこたれません。新たな投機対象を探し出します。「投機熱の焦点は、マイアミのフラッグラー街からニューヨークのウォール街に移って」いきました。そこでは「大強気相場」が始っていました。例えば、GM株28年3月3日139ドル8/4⇒29年9月3日181ドル7/8(調整前72ドル3/4)、ラジオ株同上月日94ドル1/2⇒同上月日505ドル(調整前101ドル)。
 「自動車とラジオ―これらはこの確信に満ちた大量生産時代の10年間のもっとも特徴的な二大製品であり、クーリッジ景気が咲かせたもっとも大輪な花でもあった。・・・大衆はわき立つ市場の魅力に抗し切れなかった。彼らは手っとり早く金持ちになりたいという・・・正当な願望をもっていたし、アメリカ実業界の黄金の未来について、何でも信じようとした。もし株価があがりはじめたら、予測家が何といおうと、その事業の見通しがどんなに漠然としていようとも、大衆は買った」のです。
 そして、1929年10月24日、暗黒の木曜日の到来。株価の大暴落。「下落、下落、下落の一途である。立会場からあがったどよめきの声は、恐慌のうめき声へと変わって」いきました。そしてついに、11月13日、1929年度中の底値に達しました。
 GM株 29年9月3日72ドル3/4⇒29年11月13日36ドル
 ラジオ株 同上月日 101ドル ⇒ 同上月日  28ドル
 「大強気市場は死んだ」と宣言したアレンはつづけていいます。「雑貨屋や窓拭きやお針子は、なけなしの資金を失った。どこの都会にも、人目に立つ裕福な暮らしから、突如として負債に苦しむ生活に陥ちこんだ家庭があった。隠退して財産で食っていくことを夢想していた投資家たちは、いまや、ふたたび富にいたる長い道程を、はじめからやり直すことになった。毎日毎日、新聞は自殺の暗いニュースを報じていた」。資本と商品の過剰生産、維持される人為的価格水準、対ヨーロッパ貿易の不振などから、本格的な不況へと進み始めました。時の大統領フーヴァーは、減税を約束し、賃金引下げには反対を表明し、雇用確保のために公共事業の創設を奨励しました。他方、景気については、一貫して楽観的な見通しを告げつづけました。しかし、不況はますます深刻化し、農村は更に疲弊し、失業者は600万人を数えるに至りました。フーヴァーの不況克服のための施策は、失敗に終わりました。
 国民は、政府の自由放任主義には不満を持ち、ロシアの計画経済の実験に興味を感じ始めていました。しかし、それをなす人物と政党が見当たりません。過去数年間の経験が、金融資本家や経済学者の能力への信頼をなくしていました。古い秩序は新しい秩序に場所をゆずりつつありました。最後にアレンは、次の1節を書いてペンをおきます。
 「1930年代には、何がやってくるだろうか?
 一つだけ確信をもっていえることがある。繰り返しはないだろう、ということだ。時の流れは、しばしば同一の進路をとることがある。しかし、それはつねにみずから新しい道程にむかって歩んでいくのである。」

 「事件後すぐにその歴史を書く」という方法論をもってアレンは、1931年、大不況の渦中に、この書を出版しました。歴史というにはいまだ生々しい素材をふんだんに活用し、数字データーも的確に使いながら、歴史の論理を掴み取ろうとしています。ここに登場するアメリカ社会の諸相は、高度経済成長以降の日本社会と、そっくりです。1920年代のアメリカ社会が、世界と日本の、第2次世界大戦後の先駆けとなっているのです。
 アレンがその不在を懸念した、自由放任主義のあとの計画や統制を加味した新しい政策の担い手として、ルーズベルトとケインズが登場してくるのは、アレンの『オンリー・イエスタデイ』のあとのことです。アレンの最後の言葉のように、繰り返しはなかったのです。さて、2008年世界金融危機の端を発する経済不況は、どのような進路をとるのでしょうか。新自由主義とは別の道程に向かって進んでいく気配ではありますが、はたしてどうなるのか。加藤哲郎さんが指摘されるように、1月20日のオバマ氏の大統領就任挨拶、1月28日から2月1日まで開催される世界経済フォーラム(ダボス会議)、それに対抗して1月27日から2月1日にブラジルで開かれる世界社会フォーラム、これら3つの機会に出される演説や声明に注目していきたい。金融・経済危機の原因となった市場至上主義と新自由主義が、どのように総括されるのか。そしてどのような新しい道が、示されるのか。そして、これらの新しい道(新政策)から、日本の指導者たちがどのような教訓と指針とを導き出すのか、あるいはただ指を口にくわえたまま見過ごしてしまうのか。

  

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