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2009年1月25日 (日)

ヴァージニア・ウルフ著『灯台へ』

Photo   事件や犯罪はおろか出来事自体が、ほとんど起こりません。正確にいうと、事件や出来事が、この小説ではあまり意味を持っていない、ということです。3部構成の「第1部 窓」では、ある一家とその客人たちが、小島の別荘で、休暇を過ごしています。家族は、哲学者とその妻。この夫妻には8人の子供たちがいます。客人は、老いた詩人、初老の科学者、若い学者、女性画家、そして恋する若い男女の6人。これら16人の心の揺れ・動く様子が、克明かつ繊細に描かれ、それぞれの関係性が、炙(あぶ)り出しのようにページを繰っていくにつれ、浮き上がってきます。
  ヴァージニア・ウルフ著『灯台へ』(河出書房新社 池澤夏樹編「世界文学全集Ⅱ-01」)は、このような感じの小説です。

 哲学者ラムジーは、若い頃、一冊の著作をもって哲学の世界に決定的な貢献をなし、妻や子どもを愛し、友人たちとの関係を大切に生きてきました。しかし、わがままで世間知らずで自己中心的、ときには横暴ですら。だから子どもたちには敬遠され、友人たちの口からは、不満の声がもれます。一方、ラムジー夫人は美貌のひとで、子どもたちは勿論のこと、客人たちもそれぞれに、心の中で彼女に恋をし、好意を寄せます。
 そのラムジー夫妻が、ふたりきりで部屋にいます。夫人は、編み物を手に窓の外をながめ、灯台の光の条(すじ)をとらえます。その光に自分をみて、独白します。「人は独りになると、こんなにも物に―木とか川とか花とかいった動かざるものに頼ろうとする。物が自分を表しているように感じ、あまつさえ同化した気がし、あれは自分のことを知ってくれている・・・。そうしてわけもわからず優しい気持ちを覚えたりするんだわ・・・」「この世には理性も、秩序も、正義もなく、苦しみと、死と、貧者があるのみ・・・世の中はどんなに卑しい裏切りもためらうことなく遂行する」。こんなことを心に思いながら、夫人は落ち着き払った硬い表情で坐っています。その横を通りかかった夫は、太った哲学者ヒュームが沼にはまり込んだという話を思い出して、くすくす笑っています。しかし、夫人のよそよそしさに傷つき、彼女を守ってやれないことに悲しくなります。ラムジーは、物思いに沈み灯台の光に魅入られて、歓喜と幸福に満ち足りている妻の姿をみて、「ああ!なんてきれいなんだ、いつにもましてきれいだ」と嘆息し、「妻が独りきりになったのを見ると、無性に話しかけたくなる。でも、いかん、ここは我慢だ。あいつの邪魔はしないぞ。妻はいま、夫から遠く離れて、美しくも、悲しみにひたっていた。ひたらせておいてやろう」。声をかけずに通りすぎようとする夫に対して、夫が自分からは求めないものを、妻が進んで与えなければと思い、妻は夫に呼びかけ、絵の額縁にかかった緑のショールをとりあげ、夫のもとへ行きました。なぜなら「きっとこの人はわたしを護りたがっている」とわかっていたから。ふたりは腕を組んで連れ立ちながら、妻は屋根の修理代に50ポンドかかることを、夫は客人の若者がただひとり自分の著作を絶賛してくれていることを、夫にあるいは妻に云おうとして、心の中の呟きに止めます。
 夫婦の会話はひと言も交わされず、それぞれの独白が見事なまでに、ふたりの心の揺れ・動きを捉えます。ほぼ全編にわたってこうした手法がとられ、人と人の関係性が、浮きあがってくるのです。
 この小説では出来事が意味を持たないと云いましたが、著者は「人生とは無数の小さな出来事から成り、人はそれを一箇ずつ経験するものだけれど、そうした出来事が巻きこむ波のようになってひとつのまとまる感覚」に胸ときめかす画家リリー・ブリスコウを登場させます。第1部のクライマックスは、すべての登場人物たちが顔をみせる、ラムジー家とその客人たちによる晩餐の場面です。この晩餐会こそ、無数の小さな出来事がひとつにまとまっていく場でした。37ページにわたって、晩餐会模様が-これもラムジー家とお客たちの心の揺れ・動きですが-描かれます。
 てんてんばらばらのこの場を会食の雰囲気作りに気をもむ夫人。「がんばって、がんばって」と心のなかで自分を励まします。そうした夫人を見つめるリリーは、「なんて老けた、なんてやつれたお顔だろう」と同情します。またリリーは、科学者バンクスに目を移し、夫人がバンクスを憐れんでいることに、心の中で異議をとなえます。バンクスと夫人の会話を聞いていた若い哲学徒のタンズリーは、「なんてくだらない話をしているんだ」と思いながら、舐めるように平らげた料理皿にスプーンを置きます。それを見たリリーは、「まったくこの時ばかりのがっつき方ね」と思う反面「彼の目がなかなかいい」なんて感じます・・・・。
 こんな調子で晩餐会が描かれ続けます。あくまでも出来事は小さく、が、人の心の移ろいは大きく、繊細かつ克明に。
 
 「第2部 時はゆく」で、ラムジー家と客人たちの、時の流れでの変化と去就が、手短に淡々と紹介されます。[・・・予期せず妻が急逝・・・][プルー・ラムジーが・・・結婚式をあげた][プルー・ラムジーがこの夏、産後の患いにより亡くなった][砲弾が炸裂・・・フランスで・・・アンドルー・ラムジー・・・即死であった]老詩人の[・・・カーマイケルは一冊の詩集を上梓し、思いのほか成功をおさめる。戦争で詩への関心が再燃した・・・]。そしてあの家は、荒れ放題の空き家となり、寂れていきました。

 10年後、カーマイケルとリリーが、戻ってきました。ラムジーと子どもたちも、やってきます。ここから「第3部 灯台」が始ります。リリーが、10年前を思い起こしながら、ラムジーと子どもたちの関係を、亡くなったラムジー夫人にかわって、見届けます。既にその昔、子どもたち、とりわけ末っ子ジェイムズは、父親ラムジーを嫌っていました。あのとき、6歳のジェイムズは、灯台へいくことを母とともに、楽しみにしていました。しかし、父親ラムジーは、天気が悪いから行けない、と素っ気なく灯台行きを拒んだのです。そして10年後。リリーのみたラムジー家の親子の光景は、悲劇と映りました。「棺だとか埋葬だとか経帷子が出てくるような悲劇ではなく、押さえつけられた子どもたちの、抑圧された心の悲劇」でした。ラムジー氏は、嫌がる子どもたちをつれて、灯台へ行こうというのです。そして灯台へ向かう船の中、ジェイムズと姉キャムと父親ラムジー氏との間の、3人3様の関係での心理劇が、展開されます。

 ヴァージニア・ウルフは今回、初めて読みました。徹底して人びとの心の揺れ・動きを、繊細かつ克明に描写することで、この小説が成り立っています。心理描写の鋭さと深さに感心しながら、地味ながらもそこに描かれた人間模様の魅力に、強く惹きつけられました。フォースターの『ハワード・エンド』とともに、この世界文学全集から得たイギリス文学での収穫でした。

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