母のこと その後
昨夏、胃ガンと診断された母(95歳)は、年明け極端に、食が細くなってきました。それまでは、食後嘔吐を繰り返すにもかかわらず、さほど食欲が落ちていなかったのですが、朝は牛乳とヨーグルトのみ、昼は抜いて、夕飯はふた口ほどのご飯と梅干1個に味噌汁だけ。おやつのアイスクリームやゼリー状の栄養補給食品も、すすめると顔をしかめて拒みます。
脚足の衰えも、急速に進んでいます。座敷や風呂で床に座ったとき、補助なしには立ち上がれなくなりました。1人での歩行は2,3歩が限度で、ほとんどつたわり歩きとなりました。小学校1年生のひ孫が、手をたずさえて、食堂へ案内します。
「このまま、2年も3年も生きつづけるのは、悲しい」と云います。自分の命が、さほど長くないことを感じ始めたのかもしれません。「養老院に入れてくれ」と、暗く落ち込んだ表情で、家内に頼んでいます。養老院に行けばきっと、自分の食べるものがある筈だと、「青い鳥」を求め始めたのかもしれません。あるいは、自分の面倒(介護)をみてくれている嫁に対して、食事、トイレ、入浴などの身の回りの世話を続けてもらうことへの感謝と遠慮と自己嫌悪が入り混じった、説明不能な複雑な感情が、押し寄せてきたのかもしれません。
先日、孫に当たる私の息子が、母の風呂あがりに、マッサージをしました。たっぷりと時間をかけ、やさしく丁寧に、足裏、ふくろはぎ、腕と揉んでいき、仕上げに肩を軽く叩いて終わりました。徐々に顔の表情がなごんでいき、ひとり至福のひとときを愉しんでいることが、わかります。数日前から、孫に代わって息子の私がマッサージ師となって、母の不安と苛立ちをしずめ、ここちよい睡眠を誘えれば幸いと、母のからだを揉み解(ほぐ)しています。足裏やふくろはぎの筋肉は、マッサージができる程度に残っていますが、肩の筋肉は、げっそりと落ち込んで揉み解すことすらできません。軽く叩き、やさしく撫でます。目を閉じた母は、静かな落ち着いた気持ちに戻り、何度も感謝の言葉をもらします。
掛かりつけの医者とは、「何も施さない治療」という方針を確認し合っているのですが、はたして食事をとれなくなったとき、どのような手段が残されているのか。直接栄養分を胃に入れる胃瘻(いろう)。いよいよ食事ができなくなった場合は、飢餓を防ぐためには、これしかなさそうです。母にとって胃瘻は、どのような意味をもつのでしょうか。栄養補給は、「食べる」行為の重要な一部ですが、すべてではない筈です。ひとの生理に限っても、食欲、垂涎(よだれが出る)、喉越しの快感、満腹感などいくつかの現象があります。胃瘻によって直接栄養補給した場合、これらの生理現象はどのようになるのでしょうか?食べ物の美味しさ、季節感、盛り付け、色合い、取り合わせ、好き嫌いなどなどの食に関わる文化は、失われてしまいます。「めずらしいなあ」「初めて食べるわ」「昔を思い出す」「料理が上手ね!」「どこで買ったの?」・・・・・食事のときに交わされた、こうした会話も、なくなってしまうのだろうな、と思います。
母の介護がいよいよ、最も困難な段階に差しかかろうとしている予感がします。幸い、胃ガンによる痛みは現在、まったくないようです。看護士とケアーマネージャーのお二人の、交代での定期訪問と電話による相談は、介護をつづける家内には、力強い助っ人です。掛かりつけ医の助言とサポートも、自宅での介護を可能にしていますし、何よりも、安心感を与えてくれます。ことあらば、深夜の宅診も可能だ、とのこと。こうして、地域の皆さんの支援も受けながら、母が残された日々を、苦痛もなくすこやかにすごすことができればと、こころから願います。
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