ケン・ローチ監督『この自由な世界で』
シングル・マザーのアンジーは、職業紹介会社を理不尽に解雇され、ルームメイトとともに自ら職業紹介所を立ち上げます。ポーランドはじめ外国からの移民労働者を、工事現場や工場に日雇い派遣するのです。
アンジーには11歳の一人息子がおり、両親にあずけています。また、多額のローンの返済がのしかかってきています。何とかこの苦境を乗り切らなければなりません。少しでも多く儲けたい。そのためにアンジーは・・・・・。
ケン・ローチ監督『この自由な世界で』は、現代イギリスの最底辺に位置づけられた移民労働者と、彼らを搾取して不当な利益をあげる経営者たちの姿を、赤裸々に描きだします。前作『麦の穂をゆらす風』同様に、心臓を鷲つかみにされるような、つらい感動を覚えました。
スクリーンには、新自由主義政策のもとにあるイギリスの、移民労働者の実態があぶり出されます。
その一つは、不法移民の派遣での儲け話。アンジーが、派遣先のシャツ工場の男から教えられます。マフィアが、偽造パスポートで入国した不法移民を、派遣労働者として斡旋し、膨大な利益をあげている。しかも、当局にばれても、ただの警告だけですんでいる。不法移民は、労働法の知識もなければ弱みも握られているので、従順な労働者だ。いくら低賃金でも、働き続ける。これを雇わない手はない・・・。
二つ目は、これこそまさに貧困ビジネス。アンジーたちも、これで稼ぎます。昼夜シフトの労働者を同じ部屋に住まわせ、二人から別々に部屋代を徴収すれば、儲けも倍以上になる。寒い部屋だからベッドが暖まっていいと、うそぶくアンジー。労働者の派遣斡旋だけで儲けるのではなく、彼らの消費生活(ここでは住)からも、飽くことなく儲けようとする。
脚本を書いたポール・ラヴァティは恐らく、実際にロンドンであった事件や見聞から、これらの挿話を脚本に取り入れたのだと思います。監督ケン・ローチと脚本家ポール・ラヴァティによる現代資本主義批判です。
監督は、アンジーの父親ジェフに、地味ですが大変重要な役割を与えています。ジェフは、娘アンジーを思いやり孫の将来を案じますが、労働者からピンはねをするアンジーの仕事に疑問を感じています。孫が学校をでて労働者になる頃には、新たな移民労働者と最低賃金の仕事を取り合うことになると、娘に警告します。こういう立場の配役には通常、長老俳優を起用する場合が多いのですが、ケン・ローチは、役者としてはまったく素人の、港湾労働者出身のコリン・コフリンを起用しました。このことは逆に、監督のジェフ役への思い入れの強さを感じさせます。
さて、表題の『この自由な世界で(原題 It's a freeworld)』の「自由」とは何か?
アンジーは職業紹介業を起こし、移民労働者からのピンはねを繰り返し、さらに不法行為にも恐れることなく突き進み、飽くことなく儲けを追求し続けます。ストーリーが進むにつれて、悪魔的な利己主義者としてのアンジー像が、どんどん増殖していきます。アンジーにとって世界はまさに、儲けることの自由を保障されたところです。そしてアンジーは、多額ローンの返済から自由になり、一人息子や両親と自由な暮らしを、とはなりませんでした。ローン地獄からは解放されますが、不法労働者を職業斡旋する経営者となり、利益追求に邁進していくことになります。ケン・ローチ監督は、アンジーの顔の表情の変化で、健気にしかも必死に生活を守ろうとするシングルマザーから、厳しい競争者の、不法を恐れぬしたたかな経営者の、そして最早家族を思いやる気持ちも失せてしまって孤独な女へと変わっていく様相を、丁寧に表現しています。
ケン・ローチとポール・ラヴァティの描いたイギリスの起業家と底辺労働者は、日本の「勝ち組」と称された起業家や不正規労働者とほとんどかわりません。日本社会も、「この自由な世界」に属しているのです。
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