命日、そして般若心経
1989年、世界は激動の中にありました。6月4日の天安門事件は、中国の民主化運動を挫折させ、11月11日のベルリンの壁の崩壊は、チェコ・スロヴァキアのビロード革命からルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊を経て、2年後のソヴィエト連邦の崩壊に一直線に繋がっていきました。国内では、昭和天皇が亡くなり、元号が平成となりました。美空ひばりや手塚治が亡くなったのも、この年でした。12月29日、東証大納会は、日経平均株価38,915円の史上最高値を記録し、年明け以降株価は下がり続け、バブル崩壊へと突きすすみます。まさに、ひとつの時代の終わりをつげる年だったといえます。
その年の2月7日、長男が亡くなりました。丁度、20年前のことです。1989年は、わが家にとっては、決して忘れることのできない年です。
今日、甘楽町の菩提寺で、命日の法要を家族だけで営みました。菩提寺といっても、先祖の墓があるわけではありません。他所から来た次男の私が、息子のためにつくった墓のある曹洞宗のお寺です。それまでに地域の文化運動で知り合いだった若い住職の世話になったものです。法要は、家内と息子と孫娘2人に私の5人が、ご住職とともに、般若心経を唱える、簡素ですが心のこもったものでした。7歳と5歳の孫ふたりも、終始、合掌しつづけていました。
帰宅後の夜、柳澤桂子著『生きて死ぬ智慧』(小学館 06年刊)を書棚から取り出し、再読しました。難病をかかえる生命科学者の柳澤桂子さんの『般若心経』の心訳。「いのち」についての科学的真理と宗教的真理を一体的に表現した作品です。
冒頭文を、書経のようなつもりで、書き写します。
ひとはなぜ
苦しむのでしょう・・・・・
ほんとうは
野の花のように
わたしたちも
生きられるのです
もし あなたが
目も見えず
耳も聞こえず
味わうこともできず
触角もなかったら
あなたは 自分の存在を
どのように感じるでしょうか
これが「空(くう)」の感覚です
著名な「色即是空 空即是色」には、つぎのような訳が与えられています。
お聞きなさい
形のあるもの
いいかえれば物質的存在を
私たちは現象としてとらえているのですが
現象というものは
時々刻々変化するものであって
変化しない実体というものはありません
実体がないからこそ 形をつくれるのです
実体がなくて 変化するからこそ
物質であることができるのです
また、「乃至無老死 亦無老死尽」(ないし むろうし やく むろうし じん)は、次のようです。
こうしてついに 老いもなく 死もなく
老いと死がなくなるということもないという心に至るのです
老いと死が実際にあっても
それを恐れることがないのです
年にいちどのこの日と、今後加わるだろういくつかの命日の日々、『般若心経』とその柳澤桂子心訳をともに、読み続けていきたい。何時かはきっと、自らのこころのなかに、『般若心経』の自分訳が、生まれていくのではないかと、秘かに念じています。
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コメント
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久しぶりにブログをみましたら、20年前のことが記載されており、あの日ことが鮮明に思い出され、初めて書き込みをします。
他人の日常のなかでは忘却していたことが、家族にとっては常に意識し続けるものだということをあらためて感じました。
岡山からご冥福をお祈りいたします。
投稿: | 2009年2月 8日 (日) 00時33分