屋久島は春、しかし雪が その2
安房のホテル近くの停車場から、5時33分発の登山バスに乗り、荒川登山口に向かいました。バスには10名ほどの先客が、静かに眠っています。バスは暗闇のなか、山の奥へ奥へと突き進んでいきます。遅い夜明けと雨のため、いつになく暗い。
6時20分荒川登山口に到着。トロッコ車庫の跡で朝食の握り飯を頬張り、6時40分、トロッコ軌道のうえを歩き出しました。
右側には安房川の渓流が流れ、左側は花崗岩の大きな石が、あちこちからせせり出ています。30分ほど歩いて小杉谷橋に着き、これを渡ったところが、小杉谷集落跡。
集落跡のまんなかに、小杉谷小中学校跡があります。入口の林野庁の看板に、「小杉谷集落は1923年(大正12)、木材搬出のため森林軌道が敷設され国有林経営の前進基地として誕生」と記されています。また、最盛期(1960年)には133世帯540人の大集落で、郵便局・床屋・商店があり、小中学校の生徒数は108人を数えたという。1970年、小杉谷製品事業所閉鎖により集落もその歴史を閉じた、と記されています。
トイレのある休憩所には、集落の人びとの生活の跡が、残されています。学校跡地には、校舎の屋根瓦が積んであり、それぞれが閉鎖からの40年の時を刻んで苔生していました。
小杉谷集落跡から一路、登山口のある大株歩道入口へと向かいました。先頭が若い人だったため、標準で1時間45とされるところを1時間20分ほどで、大株歩道入口に到着。そしていよいよ、縄文杉に向けての登山が始りました。8時35分、出発。
急な木の梯子段を登って30分ほどいったところに、着生樹をいっぱい着けた翁杉がありました。樹高24m・幹周り12.6m。なかなか風格のある杉の大樹です。さらにウィルソン株(切り株周り13.8m)、大王杉(樹高24.7m・幹周り11m)とあったのですが、雨と暗さのため、まともに写真が撮れません。この頃すでに雨は霰(あられ)となり、眼鏡の曇りが苦痛となり始めました。さらに登っていくにつれ、霰は雪に変わり始め、木の梯子段が滑りやすく、一歩一歩慎重な歩行を強いられました。
そして10時35分、ついに縄文杉の地点(1300m)に到着。荒川登山口から3時間55分、大株歩道入口から丁度2時間。樹齢7000年ともいわれる縄文杉は、小雪の散らつくなか、堂々とした居住まいで、でんとしてそこにありました。
寒さと空腹のため、縄文杉との対面もそこそこに、さらに140mさきの高塚小屋にて、昼食の握り弁当を食べました。小屋の周囲は、雪まじりの強風が大きな音をたてており、早く下山することを勧告しているようでした。下りは、梯子段からの滑落を十二分に気をつけて降りなければなりません。
11時10分、下山開始。
杉の樹にはり付いた苔の水滴が、凍っていました。山小屋で下着のTシャツを着替えたので、体はさっぱりとして暖かい。登山靴は勿論、水は浸み込んでこないので、全く問題はありません。
下りだして30分ほどしたところに、特に名称もない屋久杉の巨木があり、その異様な樹皮の紋様に魅せられました。直径1mほどの大きな傷が盛りあがってできたのだと思います。こうした凹凸の激しい屋久杉は、利用価値が少ないとして、伐採されずに残ったということです。
一時、雪が降り止みました。空が少し明るくなった時、登りの時にはかすんで見え難かった夫婦杉が、くっきりとその姿を見せてくれました。枝が接して合体したもの。右(夫)樹高22.9m・幹周り10.9m、左(妻)樹高25.5m・幹周り5.8m。美しい姿の屋久杉です。
13時10分、大株歩道入口に到着。再びトロッコ軌道のうえを、出発点に向かって歩き出します。ヤブツバキの花が、落ちていました。屋久島や沖縄では、リンゴツバキというようです。実の形からなのか、それとも他の理由があるのか。
トロッコ軌道に沿って、いまだ若い杉の樹が立ち並んでいます。1000年未満の杉を小杉と称したようです。小杉谷の地名も、こうしたところから名づけられたのでしょう。
トロッコ軌道沿いにも、こんな巨木がありました。三代杉(樹高38.4m・幹周り4.4m)。一代目の樹のうえに二代目が生育し、更にそのうえに三代目が育ったもの。切り株を使って更新されたわけです。帰り道では、屋久鹿や猿も姿をみせ、疲れを忘れさせてくれます。
そして、15時40分、出発点の荒川登山口に到着。丁度9時間の行程でした。今は使われなくなったトロッコ機関車が、いつでも運転再開ができるような様子で、車庫に収まっていました。今朝、暗闇のなか、朝食をとったところです。
縄文杉へのトレッキングは、意外なことに(不勉強で知らなかっただけですが)、江戸時代から続いてきていた島民たちの営林業の足跡をたどる旅でもありました。あの切り株周りが14m近くもあったウィルソン株は、周囲の小杉ですら300年位たっているとのことですが、誰が何時、どのような方法で伐採し、どのように運んだのか。屋久杉の原生林といえども、人間の確かなつめ跡が、あちこちに残されていました。
蛇足ながら、屋久島が海に浮かぶ島であることを忘れないために、安房港の写真を、最後に掲げておきます。
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