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2009年3月24日 (火)

母のこと

 「今朝、競馬場へ行った夢みたわ。そうしたら武さんが出てきて、Kさんのお嬢さんですか、とたずねられた」。こんな話を交わしたのは、半月ほどまえのこと。父(Kさん)がいっとき、京都競馬場へ勤めていたことがあるため、母の記憶に「競馬」が刷り込まれていたのだと思います。賭け事の嫌いな母から、武豊の名前が出たことに意外な感じがしました。また、自分の通夜や葬儀の夢をみた、と寂しそうに話しました。

 その頃から坂道を転がるように、母の状態が悪くなってきました。自力での歩行は既に無理だったのですが、手を携えて歩くことも難しくなってきました。ベッドから立ち上がるのも、補助が必要です。ベッドでの寝返りができず、床ずれが心配です。家内の手厚い介護で、かろうじて防いでいます。食事は、朝牛乳コップ一杯、昼前後アイスクリーム一個、夜粥を小さな茶碗半分程度とスープか味噌汁を一杯。5~700㌔カロリー前後の熱量です。先日は、鹿児島土産のかるかん饅頭をすすめたところ、懐かしがって半分ほど食べました。しかし、こうして口に入れて一度は飲み込んだものも、食後は、多くを吐き出します。食欲はあり、噛み砕き飲み下す能力はあるのですか、癌におかされた胃が拒むようです。ほぼ寝たきりの母にとって、このカロリー量はどういう意味をもつのか。母の身体や年齢からみると、基礎代謝量(寝たままで生存に必要な最低量)相当ですが、嘔吐する分だけ不足していることになります。母の身体は日に日に、小さくなっていきます。夜の入浴のとき、そのことを強く実感します。
 この1ヶ月ほどは、在宅の折には私が、母を風呂に入れてます。母は、風呂がことのほか好きで、しかも洗髪を欠かしません。薄くなった髪にシャンプーをたっぷりつけ、丁寧にゆっくりと泡たてると、能面のような顔にホッとしたような表情が、微かにあらわれてきます。身体は、ボディーシャンプーをつけたやわらかなタオルで、孫たちの時と同じ要領で洗います。戯れに、乳房を軽く握ってみました。母のそれは、私の手の中に小さく納まって隠れてしまいました。末っ子の私が、一番長く世話になったのです。還暦過ぎの爺が、老いた母親の乳房をにぎっている図は、自分ながらにおかしく、一人笑ってしまいました。姉からマザコン呼ばわりされる訳が、わかります。湯船につかるときは、ここ数日は、家内と私の二人掛かりになってきました。
 夜寝ていて「痛い痛い」と訴え、家内の名前を呼びます。家内が起きて、痛いところをマッサージすると、顔をしかめて痛さをこらえますが、その後は「楽になった」とホッとした顔に戻ります。夜間に3,4度起こされます。医者からもらった痛み止めの薬は、4時間以上間をおくように指示されているのですが、その4時間が待ち切れません。座薬も、しみだしてきた液体が皮膚にしみて、それがまた、あらたな痛みとなります。
 先週の土曜日、カトリック教会の神父さんが、母を訪ねてくれました。病者の塗油の秘蹟をうけるためです。第2バチカン公会議以前は、終油の秘蹟といって臨終の人が受けるものとされていたのですが、現在は先の呼称に見直されたようです。ただ、古くからの信者である母は「終油の秘蹟」とうけとったのか、神父さんを呼んだのは私かどうか質しました。答えに窮しました。
 みずから介護経験のある看護師から、これからが本格的な介護がはじまるのですよ、と家内がいわれました。

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