大般若・先祖祭
甘楽町の宝積寺で、大般若・先祖祭が催されたので、出席しました。毎年この日に開催されており、私は家内とともに、欠かさず参加しています。本堂には、僧侶20人と壇信徒100人ほどが集まり、午後1時半から始りました。
まず最初に、当地出身で淑徳大学の宇佐美正利先生による「宝積寺の歴史」と題した短い講演会がありました。それによりますと、この寺は、1308年頃、天台宗寺院として創建されました。そして1450年、小幡実高をパトロンに、即庵宗覚師によって曹洞宗として開山されました。創建から701年、開山から559年たった群馬県の名刹のひとつです。現在の住職は48代目。この住職が、3年間の永平寺での修行の後、徒歩で群馬まで帰ってきたことを、当事新聞で知りました。その後縁あって知り合い、20数年来のお付き合いとなりました。
講演会に引き続き、大般若会がはじまりました。釈迦如来像が安置された本堂仏壇の前に、僧侶が5人づつ向かい合って座し、各人が箱の中から大部の経典を取り出します。そして、大声で「諸法皆是因縁生・・・」と唱和しながら、屏風たたみの経典を頭上高くパラパラとめくり、これを何回かつづけたあと元の箱に収め、更に別巻を取り出して、おなじことを繰り返します。こうして600巻にもなる大般若経を、20分足らずで唱え終えました。これを転読といい、般若心経の「空」の教えを体得するための儀式のようです。この間私は、以前にも紹介した柳澤桂子著『生きて死ぬ』(小学館06年刊)を読みながら、柳澤訳の般若心経を心の中で唱えました。その1節。
私たちが あらゆるものを
「空」とするために 削り取り
削り取ったことさえも削り取るとき
私たちは深い理性をもち
「空」なる智慧を身につけたものになれるのです
この本の「あとがき」に柳澤さんは、こんな風にも語っています。
「自我を削り取り、削り取っていくと、突然ジェット機が雲海を抜けた瞬間にも似た、真っ青な空に出たような感覚に陥る。そこには幸せしかない。それは一瞬の出来事である」と。
さて本堂では大般若会がおわり、しばしの休憩の後、施食会が始まりました。このことは、いずれの機会に書くこととします。
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