アジェンデ著『精霊たちの家』
イサベル・アジェンデ著『精霊たちの家』(河出書房新社 池澤夏樹編「世界文学全集Ⅱ-07」 )は、1910年頃からこの73年のクーデターまでの、チリのある一族の4世代にわたる歴史を物語った小説です。その一族は、虐殺されたサルバドール・アジェンデに繋がる人びとです。著者は、アジェンデ大統領の姪で、クーデターのあとベネズエラへ亡命しました。
主人公は、未来を予知し透視能力をもった少女クラーラ。毒殺された美しい姉ローラの解剖場面を盗み見した彼女は、それから9年間、沈黙し続けます。そして、言葉を取り戻したクラーラは、姉の婚約者であったエステーバン・トゥルエバと結婚します。クラーラの夫エステーバンが、もう一人の主人公です。貧困な家庭に育ったエステーバンは、一攫千金を求めて金鉱を探し、農場ラス・トレス・マリーアスを手に入れ大成功を収めます。
小説の前半は、精霊たちがいき交い、伝説的な魅力ある人びとが登場します。そのひとりは、クラーラの叔父マルコス。先史時代の巨大な鳥のような形をした飛行機に乗って飛び立ち、行方不明となったあと棺にはいった遺体となって帰ってきます。盛大な葬儀の後ひょっこりと、にこやかに笑いながら帰ってきました。クラーラは、この冒険家の叔父が、大好きでした。この小説で一番魅力を感じたのは、ラス・トレス・マリーアス農場のペドロ・ガルシア老人。農場支配人の父親です。ある日、農場に蟻の大群が襲ってきました。火と水と殺虫剤で駆除しますが、効果がありません。招かれたアメリカ人技術者は、蟻の生態を調査し、駆除方法を研究した結果、1ヶ月もすれば蟻は絶滅すると説明します。そんな時間をかければ、農場は全滅するとして、ペドロ・ガルシア老人が呼ばれました。ペドロ・ガルシア老人は、「いい子だ、これから道を教えてやるから、ここを出てゆくんだ。ほかの連中も連れてゆくんだぞ」と蟻たちに話しかけました。そして次の日、蟻は一匹もいなくなりました。アメリカ人農業技師は、たけり狂いました。クラーラはただひとり、この方法は自然の理にかなっていると考えました。ラテン・アメリカの古い文明がアメリカ近代文明を凌駕し、嘲笑しています。
ペドロ・ガルシア老人は魅力的であるばかりか、この一族はきわめて重要な役割を果たします。エステーバン・トゥルエバ一族が表であり明とすれば、ガルシア一族は裏であり暗でもあります。ペドロの息子ペドロ・セグンド・ガルシァは、主人のエステーバンを憎みながらも、忠実な支配人として仕えます。そしてセグンドの息子ペドロ・テルセーロは、小作の解放と革命を信奉し、農場主エステーバンと厳しく対立し、迫害されます。しかし、エステーバンの娘ブランカと恋に陥ります。アジェンデ政権では、閣僚のひとりとなり、社会主義政権を支えます。また、ペドロの娘でセグンドの妹パンチャは、エステーバンに犯され子供を生みます。この子の子供、パンチャの孫は、その後の歴史でピノチェットの軍隊におり、エステーバンの孫娘アルバを犯し、祖母の恨みを晴らします。主人と使用人の一族同士が、恨みと憎しみで絡み合いながら、歴史的に相対します。
アジェンデ大統領の誕生からピノチェットによるクーデターの様子が、陰謀と恐怖の章として、まさにそのなかにいて体験した者として、詳細に記述されます。ラジオを通して国民に語りかけたアジェンデ大統領の最後の挨拶は、私の古い記憶からも蘇ってきます。
チリの9.11を語るとき、経済学者の宇沢弘文さんは繰り返し、次の挿話を紹介します。ミルトン・フリードマンの市場原理主義が、最初にアメリカから輸出されたのが、チリである。CIAの巨額の資金をつぎ込んでピノチェットの軍事クーデターを支援し、アジェンデ大統領を虐殺。そして、新自由主義的な政策を強行した。このアジェンデ虐殺のニュースが入った時、フリードマンの流れをくんだシカゴ大学の市場原理主義者たちは歓声を上げた、と。(宇沢弘文・内橋克人対談『新しい経済学は可能か-新自由主義の正体』(「世界」09.4月号)
« ドキュメンタリー映画『いのちの作法』 | トップページ | いのちの交代 »
コメント