いのちの交代
母の見舞いに来てくれた姉や姪たちを案内して、甘楽町の公園へ花見に出かけました。夏のような暑い日差しのなか公園には人も疎らで、ただ野鳥たちがにぎやかにさえずっていました。桜の花のなかを、鶯が飛び交ひながら、美しい声を張り上げています。そこに、くちばしの下に黒色の蝶ネクタイを締めたような、すこし小太りの鳥がやってきました。我が家の庭にもときおりやってくるシメ(旨鳥)のようです。
先週の土曜日(4/4)、3番目の孫が生まれました。母にとっては、15人目のひ孫の誕生です。母の耳もとにこの朗報を伝えると、目から涙が微(かす)かににじみ出ました。言葉には出ませんが、喜びを共有できたようです。この日から、母の絶食がはじまりました。といっても既にその数日前から、一日に牛乳をコップの四分の一とかアイスクリームをティースプーン半杯とか極端に、食は細くなっていました。そして間もなく、絶食10日目になろうとしています。
母の身体は介助のない限り、立つことも座ることもできず、床に伏すこと以外自力での動作はまったく不可能となり、マリオネットのようになりました。1週間前は、苦しげに口を開けたまま、昏々と眠り続ける日があったのですが、この1週間は、昼夜を問わず「あーあーあー」と苦しそうにあえぎ続け、看護するものがベッドから離れると、家内の名前を大きな声で呼びます。程度の強い痛み止めの薬と睡眠薬を投与されているのですが、一種の昼夜逆転の状態で、ここ数日は、深夜はほとんど目を覚ましています。半月ほど前に、世話になっている看護師から聞いた「これからが本格的な介護がはじまるのですよ」という言葉が、身に染みてきます。医者から、緩和ケア病棟への入院をすすめられましたが、母にとっては、在宅のままがいいとして、自宅で看護し続けることにしました。
10日ほど前、京都から、古くからの友人二人が、訪ねてきてくれました。ひとりの方については、顔と名前をしっかり覚えていたのですが、他の方については、孫のひとりと間違えたり、当人の顔にそっくりだけど本物はどこにいるのと、冗談とも本気ともつかない会話をしました。そして、この分だと100歳まで生きれる、と自信の程を披露していました。それから2,3日後だったか、「私の一生は幸せだった」とつぶやきました。その後、言葉を使っての会話は、ほとんどなくなりました。ただ今日は、「どこへも行きたくない」とたどたどしくながらも、訴えていました。「どこへ」が病院なのか、それとも・・・。
今晩から、姉2人と家内と私の4人態勢で、ローテーションを組んで看病することにしました。
あたらしい生命が生まれいずる一方で、96年の長い人生を閉じようとする生命が、今日共に、私の身近にあるのです。喜びと悲しみが、生命の表と裏に重なっています。生命の交代劇に立ち合い、厳粛な気持ちとなります。
« アジェンデ著『精霊たちの家』 | トップページ | もうひとつの世界への胎動 »
コメント