中国古代のユートピア「天下為公」
いささか唐突ですが、この夏、中国へ行くことになりました。そこで、中国5000年の歴史について、にわか勉強をはじめました。テキストは、陳舜臣著『中国の歴史』全7巻(講談社文庫)。数年前、4巻まで読んで放っておいたもの。今回は全巻読み通したい。
伝説の三皇五帝時代の説明のなかに、「大同の世」について語られています。後世の中国人、とりわけ儒家のひとたちが、あるべき政治の姿として描いたユートピアの時代です。出所は『礼記』。礼記(らいき)とは、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を、漢の戴聖が編纂したもの(ウィキペディア)。紀元前の中国で描かれた政治論が、21 世紀の日本で輝いて見えることに、驚きます。「天下為私」の風潮が、日本の政界を席巻している現在、「天下為公」の政治をあらためて求めたいものです。
大道之行也,天下為公。選賢與能,講信修睦,故人不獨親其親,不獨子其子,使老有所終,壯有所用,幼有所長,矜寡孤獨廢疾者,皆有所養。男有分,女有歸。貨惡其棄於地也,不必藏於己;力惡其不出於身也,不必為己。是故謀閉而不興,盜竊亂賊而不作,故外戶而不閉,是謂大同。(礼記・礼運編より)
大道の行わるるや、天下を公と為し、賢を選び、能を与(たっと)び、信を講じ、睦を修む。独り其の親を親とせず、独り其の子を子とせず。老をして終る所あり、壮をして用うる所あり、幼をして長ずる所あり、矜寡(かんか)孤独廃疾の者をして皆養う所あらしむ。男は分あり、女は帰あり。貨は其の地に棄てらるるを悪(にく)めども、必ずしも己に蔵せず。力は其の身より出さざるを悪めども、必ずしも己の為にせず。是の故に、謀は閉じて興らず、盗竊(とうせつ)乱賊は而も作(おこ)らず。故に外戸閉じず、是を大同と謂う。(読み下し文は陳舜臣著『中国の歴史一』講談社文庫より)
大道が行われると、天下を公のものとして、私物化しません。賢者をえらび、有能な者を尊重しても用い、信を講じて睦みあいます。ですから、人びとは自分の親だけを親とするのではありません。老人にたいしては、誰もが自分の親のように仕えたのです。自分の子どもだけを可愛がるのではなく、子供はどの子でも我が子のようにいつくしみます。老人を安楽に死ねるようにし、壮年の者はじゅうぶんにその力を発揮できるようにし、老いて妻なき者、老いて夫なき者、幼にしておやなき者、老いて子なき者、障害者などは、みんなで養っていくようにするのです。男には職分があり、女には嫁ぐことができるようにします。財貨はすてられるのを悪いとおもうけれども、必ずしも自分のものにしない。それは社会の共有のものです。力をじゅうぶんに発揮できないことを悪いとおもうけれども、それは自分のためにするのではありません。ですから、謀略などはしたがって、おこりようがなく、物を盗むような者もいません。そんなわけで、戸じまりの必要もないのです。これが大同の世です。(現代語訳も陳舜臣著『中国の歴史一』講談社文庫より)
この『礼記』の記述をすべて否定形に読み替えてみると、そこに現在の日本の政治の姿が顕著に現れてきます。規制緩和と民営化は、「公」を軽視し「私」を重視しました。政治家は世襲となり、賢く有能な公務員は姿を消しました。後期高齢者医療制度は老人から安楽な死を奪い、障害者自立支援法は障害者の生活を脅かし、格差教育は子供の成長に暗い影を落としています。老人、子供、障害者などの弱き者たちが、不安な生活を強いられています。不正規労働は労働者の能力発揮を阻害し、派遣切りによって男たちは仕事を奪われ、女は結婚が難しくなっています。政治家は、人びとに自己責任を語り、投資による金儲けを煽り、格差があるのは当たり前だと居直りました。こうした社会の貧困を背景に、犯罪が増加しています。新自由主義や構造改革の名のもとに、日本の社会は「公」を喪失してしまったかのようです。しかし、私たちは今こそ、中国古代の人たちが追い求めた「天下為公」の思想を取り返さなければならない、と痛切に思います。
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大道之行天下為公の訳を探して偶然読ませていただきました。ネットに詳しくありませんので、ココログの意味すら分りませんが、5/28付けの訳文と読み替えによる世評に驚きました。実に明快かつ痛烈に政治の現況を喝破されておられます。ありがとうごさいました。
投稿: 須田 満 | 2012年6月11日 (月) 18時05分