高崎市との合併、そして閉町式
昨日は、私の住む吉井町の「閉町式」というのがあったので、町の文化会館にでかけました。25,000人強の町が6月1日に、隣りの高崎市と合併することになったのです。1955年に1町3村が合併してできた町が、54年の歴史を経て、「閉町」となりました。6年前にできたばかりの町役場には、37万人の「新高崎市誕生」の垂れ幕がさがり、玄関入口の表札は、ビニールに被われていますが既に、「高崎市吉井支所」となっていました。
こうした行政の主催する式に参加するのは、入学式や卒業式を除けば、生まれて初めてのこと。区の環境保険委員という世話役をなると、こうした場への招待があるのです。とはいっても、式次第は想像した通り、挨拶に始まり挨拶に終わりました。町の幹部や来賓たちは、会場の町民への挨拶の前に、舞台正面に掲げられた日の丸と町旗に対して、慇懃に頭を下げて敬意を表していました。ああ、こうするものなんだ、と感心しながら、何か宗教行事のような匂いを感じました。町長や議会議長、知事代理の県庁職員や町職員、つまり公務員が敬意を表す相手は、何をおいても町民であり県民であるはずです。とすれば、こうした儀式でそのことを象徴的に表現するのに、日の丸や町旗に慇懃に頭を下げることではないと思います。こんなことを考えて、いささか色の褪せた日の丸を見ていたとき、地元出身の県議が、旗に向かって頭を垂れるパフォーマンスをしなかったことに、ホッとするようでした。私の席の周りの幾人かは、「おっ」と小さく声をあげましたが。その後、小学生の男児と中学生の女生徒が壇上に上がり、町幹部と来賓に向かって丁寧に頭をさげたあと直ぐに、町の思い出と新しい市への期待のメッセージを、500名余の参加者に語りかけました。舞台の上での生徒たちの所作は、自然で簡潔、気持ちのいいものでした。
式の最後には、参加者が「蛍の光」を合唱するなか町旗が降ろされ、唱歌「ふるさと」を合唱して終わりました。舞台の合唱団の中央に、ピーター・ブリューゲル作「農民の婚姻」のなかの花嫁そっくりの娘さんが、大きな口を開いて「ふるさと」を歌っていました。
帰宅後、閉町式でもらった紅白饅頭を頬張りながら、考えました。高崎市民になる私たちに、これからどういう行政サービスが、待ち受けているのだろうか。「平成の合併」が、幸と出るか否か。否、不幸とならないために、何をなすべきか。ささやかですが田舎の小さな区の世話役をつとめながら、観察の眼を持ち続けたい。ところでこの紅白饅頭、「紅」のほうがうんと淡い桃色で、めでたさも「そこそこ」を象徴しているようでした。
庭のツルバラが、咲きました。丁度1年前の5月、母と家内とともに前橋・敷島公園のバラ園にいき、そこで買ったものです。母の思い出のひとつです。
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