映画『ホルテンさんのはじめての冒険』
勤続40年、67歳のオッド・ホルテンは、定年退職の日、人生初めての遅刻をしました。毎日、時計のような規則正しい生活をおくっていたホルテンが、人生の道草を食い始めたのです。
ノルウェーの、私よりちょっと先輩の、定年後の物語です。孤立して生活する人びとが、孤独とならずに、肩に力を入れることなく、定年前の非日常を取り戻して、さりげない生活を送っています。
ノルウェーの風景が出てきます。
ホルテンの運転する特急列車が、真っ白の大雪原を疾走します。スクリーン全体が純白。当たり前のことながら、ノルウェーが雪国であることを、理解します。しかし、ザーザーと雨が降っています。北欧の冬も、雨のときがあるのだと、妙に感心します。そして、その雨が凍結した坂道を、倒れたバイクが運転手とともに滑っていき、コート姿の紳士も道の上に座ったまま滑走していきます。その姿に、小さな笑い声がもれます。
サウナ風呂に入っているホルテン。暗くて広い風呂場で、ただひとり汗をかいています。ゆでだった彼は、プールに飛び込みます。カメラは水面をアメンボのように泳ぐ、筋肉質の裸のホルテンをとらえます。そこに若い男女が、素っ裸で飛び込んできて、水中で抱き合います。
「日本」が2度登場します。「ニッサン」が日本の会社だとは信じられない。ノルウェーの名前みたい、のような会話。深い意味はありません。ただ、軽い話題として。もうひとつの「日本」は、何本かのウィスキー壜のなかに、サントリー「響」が混じっていました。
もうひとつの主人公は、ホルテンの吸うパイプ煙草。ホルテンが終始登場するのと同じように、パイプ煙草もずっと出ずっぱり。ホルテンは、火のついたパイプを、ひと時も放しません。このパイプ煙草が活躍する場面がふたつ。滑走路に悠然と立ってパイプをふかすホルテン。管制塔の係官たちが大騒ぎです。もうひとつのシーンは、ホルテン馴染みの煙草店。久々に訪ね、店主の亡くなったことを知ります。そして未亡人から、店主自慢のパイプを薦められます。満足なときも、表情は変わりません。
いくつかのエピソードが、重ねられています。それぞれのエピソードに、孤立した老人が出てきます。孤独ですが、決して寂しそうではありません。「孤立」というより「個立」と表現するほうが、適切かもしれません。みなが皆淡々と、日常生活を送っています。だから、この映画自体が、淡々としていて、上等の日本料理のような薄味の妙味を、味わうことができました。定年後の日常は、その前にできなかった「非日常」を取り返そうとしながらも、それをやってみれば、案外、興奮もなければ感動もなく、淡々として、日常と化していくのかもしれません。
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