安達太良山
奥岳からゴンドラリフトに乗り、終点の薬師岳(1350m)を徒歩で出発したのは、9時20分。木道の整備されたゆるやかな登り道を進みます。サラサドウダン(更紗灯台)とウラジロヨウラク(裏白瓔珞・写真)の花が、最盛期の模様。あちこちで見ることができました。
小学生の団体は、ゴンドラリフトを使っていましたが、中学生たちは、ふもとから頂上まで、歩いて登っていました。ピンク色のウツギの花が咲いていました。ベニバナツクバネウツギ(紅花衝羽根空木)。枝の折れた枯れ木をみると、なるほど空木は、幹の中が空洞の木でした。
頂上に近づくにつれ、樹木は徐々に低くなり、日当たりのいい地面には、小さな花たちが、咲いていました。アカモノ(赤物)。コケモモかなと思っていたのですが、こちらのほうが正しいようです。
ミニシャクナゲのようなイソツツジ(磯躑躅)。高さ10㎝程度の茎の頂上に、かわいい白い花をつけています。70歳をすこし越えた年恰好の、ひとり登山の男性と、しばらく一緒に歩きました。一昨日から連続で、福島の山々を歩き廻っているという。スピードはゆっくりですが、しっかりとした足取りで頂上を目指していました。明日は、岩手県遠野の早池峰山に登るとのこと。
登り始めて1時間20分ほどで、安達太良山頂上1700mに到着。快晴の蒼い空に迎えられ、気分は爽快。写真は、東側から眺めた頂上です。
西側の船明神山の向こうに、磐梯山の姿が、うっすらと眺めることができました。昇ってくる途中、強い風のため、ゴンドラが何度か停止しましたが、頂上の強風は激しく、西から一方的に間断なく、吹きまくっていました。
頂上から北側、鉄山への道が、牛の背。登山客はまばらです。
牛の背に向かう途中、振り返って安達太良山を眺めました。なだらかなスロープになって、歩くには何ら苦痛はありません。しかし強風は、牛の背に入り、ますます厳しくなってきました。牛の背の西側、船明神山と鉄山に囲まれた広大なクレーター状の池の平を見下ろす地点に到着しました。
今回の最大のハイライト地点。直径1200m、深さ150mの池の平の光景は、地獄の底を見るようで、圧巻でした。1900年7月17日、大爆発があり、沼ノ平火口内にあった硫黄鉱山製錬所が全壊し,死者72名を出しました。
また1997年9月15日、14名の登山パーティーのうち4名が、火山ガスによる中毒で亡くなっています。現在では勿論、沼の平周辺の立ち入りは、禁止されています。
こんなにも荒々しく凄まじい火山の一画の岩場に、健気に咲き誇る一輪の花を見つけました。オノエラン(尾上蘭)。岩盤の塊のような鉄山へ登る途中にありました。
鉄山を越えた北斜面に、イワカガミ(岩鏡)の大きな株がありました。多くの人びとの命をのみ込んだ、地獄のような沼の平のすぐ近くで、小さくも美しい花たちが楚々として<咲き誇っているのです。
鉄山から箕輪山へ向かう途中、鉄山避難小屋がありました。快晴の日の今日は、ただの休憩小屋としか映りませんが、一端天候が崩れガスが発生すれば、文字通りの避難小屋となります。
この避難小屋をすぎたあたりから箕輪山を眺望しました。底の浅い皿を伏せたような、穏やかな山です。安達太良連峰のなかでは1728mと最も標高の高い山です。この鉄山と箕輪山の間にある笹平の分岐点から塩沢温泉に向かって、下山し始めました。
登山道を妨げていた篠や潅木が、きれいに伐採されていて、大変歩きよい。 ところが突然、その登山道がなくなり、雪渓に入り込んでしまいました。初めての体験で、面食らいました。足元悪く、滑るのを懸命にこらえて、なんとか抜け出しました。笹平から僧悟台にかけては、サラサドウダンやウラジロヨウラクに加え、シャクナゲ(石楠花)やレンゲツツジ(蓮華躑躅)がたくさん自生していましたが、レンゲツツジは既に終わり、シャクナゲはこれからの様子でした。まさに花の宝庫です。
今回の山歩きの最後は、僧悟台から塩沢温泉登山口までの、ダケカンバやミズナラの森の中の急な下り道でした。ここを登っていくのでなくてよかったと思いつつ、1時間以上も急な山道を下っていると、ウンザリとしてきます。そうした折、ふっと頭上に目をやると、ヤシオツツジ(八潮躑躅)が咲いていました。
塩沢温泉登山口には丁度、3時に到着。5時間40分の安達太良山登山でした。ふもとにあった塩沢温泉の野天風呂で汗を流し、ほっとした気分で、家路に着きました。
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