映画『英国王給仕人に乾杯!』
「私の幸運はいつも、不運とドンデン返しだった」という、小さな国の小さな男の物語。主人公ヤンは、軽薄で利己的、しかし夢だけは大きい給仕人。百万長者になってホテル王になる、というのがその夢でした。この非政治的青年が、ナチス・ドイツに蹂躙されていくチェコのなかで、ずるくも飄々と、生き抜いていきます。(イジー・メンツェル監督作品『英国王給仕人に乾杯!(I served the King of Engrand)』 2007年チェコ、スロヴァキア合作)』
給仕人の物語にふさわしく、レストランが重要なシーンとして映しだされます。
1930年代、チェコのとある田舎町のレストラン。町の名士たちが集まり、ビールを飲みながら口角泡を飛ばし、議論を楽しんでいます。雨宿りのためレストランに入った美しい娼婦と、それを舐めるように見つめる名士たち。ヤンは、この娼婦から招かれるという「幸運」を得ますが、名士たちの「おたのしみ」の領域を侵したとして不運にも、店をやめ町を去ることになりました。
次に得た職場は、広大な庭のある豪壮なホテル。といっても、大富豪の実業家や将軍をお客とした高級売春リゾートホテル。豪勢な料理と若く美しい女性たち。肝臓病だ腎臓病だといいながら大食し、女たちを追いかけまわします。これはまるで、大人によるお遊戯ごっこです。ここでもヤンは、将軍から大金のチップをものにするという「幸運」に恵まれ、そして再び、去らざるを得ませんでした。
なんと今度は、プラハで最高級のホテル・パリに、給仕人として入りました。ここでヤンは、英国王に仕えたという給仕長に出会い、みずからの師とします。ホテル・パリでの圧巻は、エチオピア皇帝を迎えての大晩餐の場面。アール・ヌーヴォーの瀟洒なホテルに、着飾ったラクダが、すまし顔で入っていきます。そして料理は、ラクダの丸焼き、腹に七面鳥を詰め込んだ羊、その七面鳥には、卵や魚が詰め込まれている・・・・・。皇帝一行を迎えたプラハの政府高官たちは、ご馳走にしゃぶりつきます。その様子を、皇帝はじめエチオピア高官たちが、ただ唖然と見つめています。ここでまた、ヤンはエチオピア皇帝から、勲章を得るという「幸運」を手にしました。
こうして百万長者になるという夢の実現に向かって、ヤンは一歩一歩、前進するのでした。それはまさに、幸運と不運のドンデン返しでした。
最後の食事のシーンは、1960年代、貧しく年老いたヤンとパトロンのふたりが、ジョッキにはいったビールで乾杯しているところです。小さな皿には、ソーセージだけが載せてあります。一口飲んだヤンはしみじみと、「最高のビール」だとつぶやきます。戦後追放となった国境の山中、元住民のドイツ人家族の廃墟を手直しした部屋のなかです。ふたりの老人は、ビールを飲みながら、幸せを噛みしめています。
以上は、この映画の主人公ヤンの給仕人としての側面だけに、スポットをあてたものです。時代は、ナチス・ドイツによるチェコ・スロヴァキア干渉が、強まりつつある時期です。ホテル・パリにも、その影響が出てきます。料理を注文するドイツ軍将校に向かって、給仕長は「言葉がわからない」として結局、店から追い出してしまいます。勿論、この給仕長は、英・独・仏・伊・・・語、さらに朝鮮語もわかるのですが。こうしたプラハ市民の抵抗が、描かれます。しかしヤンは、抵抗の人ではありません。ひたすら百万長者の夢を見続けるのです。ヤンの入った映画館で、ドイツによるズデーテン占領のニュース映画が、上映されいます。戦後追放された国境の山地とは、このズデーテン地方のことです。
このナチス・ドイツのチェコ・スロヴァキアへの干渉と領土割譲を背景とした物語が、この映画のもうひとつの側面です。「ハイル・ヒットラー!」と声高に叫ぶ若い女性が登場します。ヤンは、このドイツ人女性と恋に陥り、ついに結婚します。そして・・・・・。
飄々としながらも、それなりにずるく世渡りしていくヤンは、大国に囲まれて苦難の歴史を歩み続けてきたチェコの人びとの、ひとつの姿なのかもしれません。幸運が幸運として完結せず、逆に、不運が不運として終わらない。いつどこで、ドンデン返しがあるかわからない。チェコ国民よ、幸運にぬか喜びするなかれ、不運をやたら嘆くなかれ、というメッセージが聞こえてくるようです。
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