『小説十八史略』の世界
陳舜臣著『小説十八史略』全6巻を読了。紀元前17世紀の殷の時代から紀元13世紀の南宋までの中国3000年の歴史を、文庫本にして3000ページ余に、『小説・・・』とは称しながらも実質的には史実に基づき、フィクションを混ぜないで書き記したものです。著者は当初、架空の人物も入れておもしろくしょうとしたのですが、中国史には「チャーミングな人物が犇(ひし)めき合って、架空の人物のはいる余地がない」ために構想を放棄しました。それらのチャーミングな人物群像は、歴代の中国王朝を切り拓き、引き継ぎ、崩壊させていった皇帝とその周囲の人びと、そしてそれらの内と外の敵と味方から構成されています。英雄と俗物、賢者と愚者、正義と卑怯、美女と醜女、恩義と裏切り、等々ありとあらゆるタイプの支配者群像が描かれます。
長大な歴史物語なので、ここに書かれた事件やエピソードは、膨大な数になります。そのなかで強烈な印象を残した登場人物と事件とを、メモしておきます。
秦の始皇帝の死について。統一王朝を造った始皇帝は、異常なほどに「死」を恐れ、不老不死の仙薬に巨額の資金を投じたり、「死」という言葉すら忌み嫌いました。しかし当然のことながら、偉大な始皇帝にもやがて死が訪れました。死後陰謀が渦巻くなか、始皇帝の死はしばらく伏せられました。そして行幸。いまだ残暑厳しい季節で途中、屍臭が漂い始めます。その屍臭を隠すため、大量の塩漬けの魚を車に積み込み、家臣たちはその悪臭にたえた、というエピソードが語られています。英雄も死ねば、野の犬やねずみと同様に腐敗し、腐臭を撒き散らす死体となってしまう。中国の史書のリアリズムは、こんな具合に発揮されています。
漢の初代皇帝高祖の妻呂后の怨恨は、凄まじい。高祖の愛人の一人戚(せき)夫人への憎しみです。後継者争いでのライバル(息子同士の競争)であり、高祖晩年のころ戚夫人がひとり寵愛を受けたことへの恨みです。高祖の死後、権力を握った呂后は、戚夫人を捕らえ、頭を剃り首に鉄の枷をはめ赤い囚人服を着せて、終日、米を搗く罰を与えました。さらに、じわじわとなぶり殺しにして、恨みをはらしそうとします。戚夫人の両手両脚を切断し、目をくり抜き、聴力も声も奪って便所に置き、「人豚」と名づけました。その姿を息子の恵帝にみせて「豚は豚でも、人間の豚ですよ。それも牝のね」と話したと、著者は小説風に記述します。
残酷さにおいて呂后に劣らないのが、唐の第三代皇帝高宗の皇后、武則天。先帝の女の一人であった武氏は、新皇帝の心をとらえて後宮へ入り、王皇后を計略により廃し皇后の地位を奪いました。そして、廃された王皇后と皇帝の寵愛を受けていた蕭淑妃の二人を殺害します。まず百の杖刑を加え、手足を切断して酒甕にいれ、「二人の婆あに、骨まで酔わせておやり」と言い放ちました。蕭淑妃は、「阿武め(武則天のこと)、来世は鼠にうまれかわるがよい。妾(わらわ)は猫と生まれて、その喉笛にくらいついてやるわ!」と呪いながら死んでいったという。その後武則天は、中国史上唯一の女帝となり、武周を立てました。漢の呂后と清の西太后とともに、「中国三大悪女」と称されます。
著者の陳舜臣さんは、中国の代表的英傑5人-秦の始皇帝、漢の武帝、唐の太宗、宋の太祖、元の成吉思汗-から一人を選べといわれれば、ためらわず宋の太祖を採る、と断言します。生粋の武門の人でありながら、国家の基本を文治主義で貫いたからです。そして著者をして「何よりも感動的」と言わせたのは、太祖の残した「石刻遺訓」。宋王朝の皇帝となったものは、即位のときにこの遺訓を胸のなかにしっかりと刻みつけて、政治を行うことが要請されたというのです。その「石刻遺訓」のひとつに、「士大夫を言論を理由として殺してはならない」というのがありました。士大夫は、科挙試験に受かった高級官僚たち。士大夫たちは、大いに言論戦を展開しました。こうして宋代の言論の自由は、社会の進歩に大きな貢献をしたと、著者は指摘します。そのひとつが、新法・旧法の争い。これは極めて現代的な論争で、おもしろい。
宋の第6代皇帝神宗は、国家財政の建て直しのために、国政改革をはかろうとしました。このためにまず、新法派の王安石を宰相に迎えました。新法派は、納税負担力をもつ農民や商人の層を厚くするために、貧農と小商人への低金利融資を実行しました。新法は貧農や零細商人の救済し、いまでいう中流の復興によって、総合的な国富増強を目指したのです。これに対して、司馬光を代表とする旧法派は、「貧乏人怠け者論」によって、「国家が貧乏人に金を貸しても、怠け者の彼らは返済できないだろうから、その負担は金持ちにかかってくる」として、福祉切捨て論を展開しました。旧法派の本音は、大地主や大商人の権益を守ることでした。この新法・旧法の争いはその後も延々と続いたとのことです。900年前の中国の政治の話です。
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