耕作放棄田の草刈り
耕作放棄された田圃の草刈り作業をしていると、つがいのキジが、10mと離れていない畦道を、平然と歩いていきました。ときどきこちらを見ますが、警戒の様子はまったくありません。3時間近くの作業の間、われわれの周り行ったり来たりし、まるで監視している様子。
この田圃は、20年以上も前に地主が去り、今ではその田を借りる農家もなく、耕作放棄地となったところ。区の有志が集まり、この地にホタルを復活させようと昨秋来、除草や篠竹の伐採をしながら環境整備をしてきました。6月中旬、数匹の源氏ボタルが舞いました。初老の男たちが、幼児のごとく喜び合いました。
8人の仲間が、草刈り機もって集まり、10枚前後の田圃と畦道の草刈りをしました。私は、法面の篠竹を伐採しました。慣れない農作業は、大変疲れ、すこしグロッキー気味となりました。オカトラノオが、咲いていました。犬の散歩コースに咲いていたこの花は既に、咲き終わっています。
この地区に現在、産業廃棄物最終処分場の建設問題が、持ち上がっています。昨晩、区の寄り合いがあり、区長から簡単な経過報告と高崎市による住民説明会の持ち方について相談がありました。そして今朝の新聞折込に、共産党の市会議員による議会報告の中に、この問題が触れられていました。それによると2001年、ある民間企業から産廃最終処分場設置陳情書が、合併前の町議会に提出され翌年、同議会にて不採択となって決着したとのことです。ところが旧町の町長が、今年の6月1日の合併直前になって、町としての「やり残し」案件として「意見書」を県に対し提出したとのこと。これを受けた県は、「設置許可に向けて動かざるをえない状況」だと共産党市議は、懸念しています。私の住む隣接地区にはすでに、産廃最終処分場が3箇所あり、住民感情としては、これ以上の設置はなんとしても、阻止したいところ。はたして今後、どのような展開になるか注意深くみていきたい。
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