映画『湖のほとりで』
森にかこまれた湖のほとりで、美しい少女の死体が、発見されます。この地に赴任したばかりの刑事サンツィオは、死体に争った形跡がないことから、顔見知りの犯行とみて、被害者周辺の村人に、捜査の手を伸ばしていきます。この犯人追跡の過程で、個々の家族と人々が、密やかにもっている悲しみが、徐々にあぶり出されます。
イタリア映画『湖のほとりで』は、現代に生きる私たちが避けがたくもっている悲しみを、静かに描きだしました。
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森にかこまれた湖のほとりで、美しい少女の死体が、発見されます。この地に赴任したばかりの刑事サンツィオは、死体に争った形跡がないことから、顔見知りの犯行とみて、被害者周辺の村人に、捜査の手を伸ばしていきます。この犯人追跡の過程で、個々の家族と人々が、密やかにもっている悲しみが、徐々にあぶり出されます。
イタリア映画『湖のほとりで』は、現代に生きる私たちが避けがたくもっている悲しみを、静かに描きだしました。
昨夜は、甘楽町の楽山園で薪能が上演され、観劇してきました。同町の発足50周年記念事業のひとつとして開催されたもの。朝から辺りは小雨に煙り、野外での開演は無理かなと思ったのですが、主催者の工夫によって、舞囃子など前半だけが、薪の燃えさかる庭園で上演され、狂言と能は、町の文化会館へ移動しての公演となりました。
17世紀になって初めてヨーロッパにもたらされた茶は、18世紀から19世紀にかけて、後発のイギリスにおいて飛躍的に普及し、社会的にも経済的にも不可欠の重要商品となりました。当初は、コーヒーハウスや宮廷での、一部特権階級の飲み物であったのですが、関税率の削減や輸入量の増加にともない茶価は大幅に下がり、一般家庭や大衆に受け入れられていきました。前回紹介したイギリスでの茶の普及をしめす緒指標が、このことを如実に示しています。
では何故、茶がヨーロッパのなかでイギリス国民にこのように愛好され、飛躍的に普及していったのでしょうか。またその結果、何が起こったのでしょうか。角山 栄著『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』に学びます。
東アジアの近・現代史を学ぼうと思います。日・韓(朝)・中とその周辺国の、19世紀から20世紀の歴史を、オーソドックスな歴史のテキスト、小説・評論等の文学作品、そしてテレビ・映画等の映像などから、思いつきと自由気ままをモットーに、学んでいきたい。
それは何よりも、私自身の知的欲求を満たすことが第一義ですが、これから現実味を帯びていくことを強く予感させる東アジア共同体を、歴史的な文脈の中で理解していく手掛かりとなればと、考えています。