砂糖の入った茶が近代の幕を開いた
17世紀になって初めてヨーロッパにもたらされた茶は、18世紀から19世紀にかけて、後発のイギリスにおいて飛躍的に普及し、社会的にも経済的にも不可欠の重要商品となりました。当初は、コーヒーハウスや宮廷での、一部特権階級の飲み物であったのですが、関税率の削減や輸入量の増加にともない茶価は大幅に下がり、一般家庭や大衆に受け入れられていきました。前回紹介したイギリスでの茶の普及をしめす緒指標が、このことを如実に示しています。
では何故、茶がヨーロッパのなかでイギリス国民にこのように愛好され、飛躍的に普及していったのでしょうか。またその結果、何が起こったのでしょうか。角山 栄著『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』に学びます。
1.茶がイギリスで国民的飲料として普及した理由
(1)茶以前の飲み物が貧弱:水とエール。イギリスの水は軟水で、硬水の大陸とは違って、飲み水に適していました。エールは、ホップ抜きのビールで、17世紀末までは上流階級でも、日常的な飲み物でした。つまり、イギリスは飲み物の貧弱な国であった、と角山さんは指摘します。一方、大陸のヨーロッパ諸国は、地中海のワイン文化圏を中心に、茶が入り込む余地がありませんでした。
(2)土着の代用茶の存在:植物の花や葉を煎じて飲む煎汁や薬用茶といわれる代用茶が、伝統的にありました。これらには、蜂蜜や砂糖、ミルクを入れて飲みました。「こうした代用茶の基盤の上に、中国茶がはいってきた」のでした。
(3)茶に対する賛否両論と積極的肯定論の勝利:国民的飲料として普及しつつあった18世紀中頃、不健康・不経済の理由から、反対論が幅を利かせましたが、18世紀末になると、「ジンよりも茶の方が健全な飲み物である」とする積極的肯定論が、茶の普及を更に促進しました。
(4)3飲料競争に勝つ:17世紀中頃から18世紀にかけて、ほぼ同時期に、茶・コーヒー・チョコレートの3飲料が、ヨーロッパにもたらされました。イギリスは、コーヒーの供給確保の国際競争でオランダに敗れ、中国茶の輸入にシフトしていきました。また、チョコレーートは、価格が高くて大衆には普及せず、西インド諸島を襲ったハリケーンによってココアは全滅しました。イギリスは、「茶に頼るしか方法がなかった」のです。
(5)ビタミンC補給源・壊血病予防:18世紀のイギリスの食卓は、塩漬けの肉と酒が多く、新鮮な野菜が乏しいため、茶は貴重なビタミン源になりました。しかし、1730年代にはいると、輸入量は、ビタミンCを含まない紅茶が、ビタミンCを豊富に含む緑茶を凌駕するようになり、その後は、紅茶が圧倒的に多くなります。従って著者は、この(5)については、いささか懐疑的です。
以上が、著者の角山氏が指摘された、茶がイギリスで国民的飲料として、急速かつ飛躍的に普及していった、理由・背景です。では、その結果、何が起こったのか。
2.イギリスへの茶の急速な普及がもたらしたもの
著者は、イギリスの紅茶文化の象徴を、「紅茶に砂糖とミルクを入れる飲み方」に見ています。ただ、茶にミルクを入れる飲み方は、モンゴルに先例があり、またその影響の如何にかかわらず、有畜農業のイギリス人にとっては、自然なことだとしています。従って、イギリス独自の茶の飲み方は、「茶に砂糖を入れる」こととなります。18世紀から19世紀にかけて、茶の普及にともない、砂糖の消費量も著しく増加しました。この茶と砂糖の結合に、「紅茶の色が象徴するような血なまぐさい本質」を著者はえぐり出します。ふたつの三角貿易。
(1)砂糖をめぐる三角貿易
①イギリス本国 →アフリカ西海岸 :タバコ、銃、ラム酒、綿布
②アフリカ西海岸→西インド諸島 :黒人奴隷
③西インド諸島 →イギリス本国 :砂糖
「奴隷貿易を制するものは、砂糖を制する。砂糖を制するものは、18世紀の世界経済を制する」。こうして奴隷と砂糖で得られた莫大な富が、イギリス産業革命の資本として大きな役割を果たすことになる、と著者は指摘します。
(2)茶をめぐる三角貿易
①イギリス本国 →インド :綿織物
②インド →中国(清) :アヘン
③中国(清) →イギリス本国 :茶
18世紀末、イギリスは大量の茶輸入にともない中国との貿易では大幅な入超となり、銀流出が問題となりました。また茶の密輸問題も重大となり、大幅な関税引き下げを余儀なくされます。それがまた、茶の価格下落→消費拡大→茶輸入の拡大→銀流出の増大と、矛盾を拡大させました。そこで考え出されたのが、インド植民地のアヘンを中国に輸出し、銀を獲得するという方法でした。こうして、茶とアヘンと綿織物の三角貿易が確立します。これにより、中国ではアヘン中毒患者の蔓延と銀保有量の激減で、清朝と中国社会は大きく動揺します。インドは、伝統的な綿業は壊滅状態となり、イギリス帝国主義に従属する植民地となっていきます。そしてイギリスは、世界資本主義の覇者として、ミルクと砂糖のたっぷり入った紅茶を、ひとり楽しむこととなりました。これがアヘン戦争の前夜の状況です。
東アジアの近・現代史のテキストは、このアヘン戦争から書き出されるはずです。だから私の学習も、このあたりから開始することとします。
« 英国の茶論 レットサム著『茶の博物誌』を読む | トップページ | 薪能 »
コメント