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2009年10月26日 (月)

薪能

 昨夜は、甘楽町の楽山園で薪能が上演され、観劇してきました。同町の発足50周年記念事業のひとつとして開催されたもの。朝から辺りは小雨に煙り、野外での開演は無理かなと思ったのですが、主催者の工夫によって、舞囃子など前半だけが、薪の燃えさかる庭園で上演され、狂言と能は、町の文化会館へ移動しての公演となりました。

 能や狂言は学生時代に、平安神宮境内で、薪能を観て以来です。その時は、役者たちの台詞や謡曲の歌詞が十分に聞き取れず、徹底的に様式化された仕種(しぐさ)も、意味を解することが困難で、ただただ眠くて仕方がありませんでした。しかし突然の、泣き叫ぶような高い笛の音(ね)と、掛け声とともに小気味よく叩かれる鼓や激しく打ち鳴らされる太鼓の音に、眼を覚まされた記憶があります。
 昨夜の出し物は、狂言は『清水』、能は『船弁慶』。どちらも、狂言と能の中では、もっともポピュラーでわかり易い演目だということでした。家を出る前に、家内とともにネットで、それぞれの予習をしてから、出掛けました。ネットには、能や狂言のファンたちのサイトが沢山あり、『船弁慶』については現代語訳までアップされていました。ストーリーそのものは、単純明快で、しかも、義経、弁慶、静御前の物語は、その時代背景とともに、私たちのよく知っているところです。
 狂言『清水』。主人が、茶の湯のために清水を汲んでくるように、太郎冠者に命じます。太郎冠者は、これがいやがため、清水の近くで鬼にであったと嘘をつきます。不審に思った主人は、清水に確かめにいくと、あわてて鬼に化けた太郎冠者が現われ・・・。
 鬼が主人に対して、太郎冠者の肩をもった言い分(働く者の諸要求)を、次から次にぶつけるところが、客の笑いを呼びました。小さなクスッという笑いは、物足りなげですが、如何にも品がよい。過剰な笑いよりも、こちらの方が好ましく感じます。
 能『船弁慶』。前場は、静御前が主人公(前シテ)。表情の読み取れない能面は、それゆえに気味が悪い。静の着けた装束の美しさに、目を見張ります。台詞の半分ほどは聴き取ることができ、予習の甲斐もあって、物語の世界に入っていくことができました。
 義経と弁慶の一行が、静と別れ、港から船に乗って西に逃れていきます。船頭の漕ぐ船は、船型の輪郭だけに抽象化されています。そこには、義経と弁慶と従者が乗っています。風が吹き波が荒れだします。船頭がひとり、波浪に翻弄される船上で、演技します。シンプルな仕種と台詞のくり返しですが、嵐のなかの小船を十分に、想像することができます。他の者は不動のままで、船の形象と同様に抽象的です。
 この船の場面を見ながら、今夏、北京で観た京劇『秋江』を思いだしました。若い尼僧が恋人を追い、河を渡ろうとして、老船頭の漕ぐ船に乗る、という話でした。京劇の舞台には、装置は一切なく、ただ登場人物のふたりだけが、その仕種と台詞で、河に浮く船と波を表現していました。『船弁慶』の船は、船形の輪郭だけで表現されていましたが、『秋江』の船は、「無」にまで抽象化されていました。他方、登場人物たちの台詞と仕種は、前者が、船頭がただひとり具象的であるのに対し、後者は、ふたりの登場人物がすこぶる多弁かつ多動で、だから大変具象的でした。まるで中国語が聞き取れたかのような錯覚を覚えました。
 さて、『船弁慶』後場。義経たちの乗った船の前に、西国で亡びた平家一門の亡霊たちが、浮かび上がります。その中から、凄まじい形相をした平知盛(後シテ)が、長刀を振りかざして義経に襲いかかり、そして・・・。
 前場と後場、現世とあの世との強烈な対照性が、静の悲哀と知盛の憎悪として、際立っていました。知盛のつけた、西陣で織られただろう見事な金襴の能装束の豪華さには、目を奪われました。40年ぶりに観た能舞台に魅せられて、家路に着きました。 

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