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2009年10月22日 (木)

英国の茶論 レットサム著『茶の博物誌』を読む

Photo_2 東アジアの近・現代史を学ぼうと思います。日・韓(朝)・中とその周辺国の、19世紀から20世紀の歴史を、オーソドックスな歴史のテキスト、小説・評論等の文学作品、そしてテレビ・映画等の映像などから、思いつきと自由気ままをモットーに、学んでいきたい。
 それは何よりも、私自身の知的欲求を満たすことが第一義ですが、これから現実味を帯びていくことを強く予感させる東アジア共同体を、歴史的な文脈の中で理解していく手掛かりとなればと、考えています。

 作家の陳舜臣さんは、アジア近代の幕開けとなったアヘン戦争を理解するためには、この戦争の原因となった茶を知らなければならないとして、茶についての文献を読み、中国各地の茶の産地を訪ね歩きました。このときの成果が、名著『茶の話 茶事遍歴』(朝日文芸文庫1992刊)として結実しました。私も、東アジアの近・現代史を読むにあたり、陳さんに倣い、茶についてすこし勉強してみました。
 角山栄著『茶の世界 緑茶の文化と紅茶の社会』(中公新書1980刊)とJ.C.レットサム著『茶の博物誌 茶樹と喫茶についての考察』(講談社学術文庫2002刊)の2冊です。前者(前半部分)は、16世紀にヨーロッパの人々がはじめて、日本や中国から茶を受け入れ、その後、茶がイギリスにおいて国民的飲料となり紅茶文化を形成するまでに至ったことを、経済史の立場から追跡します。そして茶が、アヘン戦争の原因となり背景となったことを、鋭く迫っています。後者の『茶の博物誌』は、18世紀後半のイギリスにおいて、人々が茶を我がものとしていく様子をうかがい知ることが出来、大変おもしろい。以下、両著から学んだことを、何点かメモしておきたい。
1.イギリスでの茶の普及について
(1)中国からの茶輸出量の推移(『茶の博物誌』から、単位:重量ポンド)
①1776年 オランダ492万(30%)・イギリス 340万(21%)・合計1,624万
②1786年 オランダ446万(15%)・イギリス1,348万(45%)・合計2,989万
③1795年 オランダ410万(14%)・イギリス2,373万(81%)・合計2,931万
 17世紀はじめ、オランダからはじまった茶の輸入は、18世紀後半にはいってイギリスと逆転し、18世紀末にはイギリスが圧倒的シェアをしめるにいたります。この数字を前提に、当事のイギリス人が、どの程度茶を飲んでいたかを推定しますと、1800年のイギリス人口(イングランド+ウェールズ)は910万人なので、1795年2,373万ポンド(10,775トン)/910万人=1,184g/人となり、現在の日本の約800g/人よりも多くなります。
(2)イギリス東インド会社の主要輸入品(全輸入額中の%、『茶の世界』から)
①1670年 黒胡椒23%・綿絹織物61%・茶 0%
②1720年 黒胡椒  8%・綿絹織物72%・茶 5%
③1760年 黒胡椒  2%・綿絹織物43%・茶40%
 この表からは、18世紀後半、イギリスの茶の輸入量(シェアー)が急速に拡大したことがわかるとともに、輸入構造の大きな変化を読み取ることが出来ます。19世紀前半には、インドからの綿絹織物の輸入は皆無となり、逆に綿織物はインドへの輸出品へと転化ます。産業革命を経たイギリス資本主義の勝利です。
2.J.C.レットサム著『茶の博物誌 茶樹と喫茶についての考察』(初版1772刊)からのメモ
(1)医学博士レットサム(1744-1815)は、茶がイギリスで国民的飲料になりつつあった時期にこの書を著わし、「17世紀にアジアからヨーロッパへ茶が伝わって以来、茶の植物学的特性や医学的効用をめぐって続いてきた論争に終止符を打ち、ヨーロッパにおける喫茶の本格的普及を促し」ました(訳者序文から)。
(2)茶の栽培・製茶・喫茶の方法については、日本や中国に滞在したヨーロッパ人の医者や博物学者たちの報告に依拠しており、一部を除き概ね正確な記述をしています。
(3)茶の種子や苗木の輸送方法についても詳論し、イギリス本国および植民地への茶導入の意図が明確です。
(4)茶の効用についての医学的論争については、絶対悪にも絶対善にも片寄らず、それなりに公平な評価に努めています。抗菌・鎮静・弛緩(リラックス)・活性化などの作用については、現在の茶の効能についての知見水準に到達しており、「濃い血液をうすめる」効果や「血管を収縮させる」効果などは、茶の生活習慣病予防のための極めて今日的な効能です。「制酸性」の指摘は、カテキンのもつ抗酸化作用そのものの指摘です。
(5)以上のような、この書の本題である茶の植物学的特性や医学的効能についての記述以上に興味深いのは、著者を通して垣間見える、18世紀イギリス人の中国にたいする見方・偏見についてです。
①茶の起源の項で、中国・日本の喫茶風習の先行性の理由を、「不純で味が悪い」水を飲みやすくするため、と推測しています。
②喫茶法の項では、中国人は「砂糖やミルクを加えずにそのまま飲む」と、珍しい喫茶法として紹介しています。茶の風習の新旧が逆転した発想です。
 そして中国人に対する偏見の最たるものは、「茶と民族性」という項の記述です。
③民族性は、気候・教育同様に、食べ物・生活習慣に由来する、としたうえで、長い年月茶を飲んできた人々の性格、つまり中国人の性格からどんなことがわかるかと問いかけ、答えます。「中国人は・・・細かい織物や手工業に優れているが・・・建造物に関してはあまり高い才能を示していない。・・・臆病でずるく、非常に好色で、きわめて偽善的で利己的であり、女性的で復讐心が強く、不正直であるとされている」。原注に、「アンソン『世界航海記』および多くの近年の権威ある著作を参照」と書き記しています。つまり、この中国人論は著者だけの見解ではなくて、多くの権威者がいっていることだよ、というわけです。当時のイギリス人知識人たちの、茶に対する著しい偏見であるとともに、中国人に対する侮蔑的態度だといわざるをえません。
 角山栄は、前述した『茶の世界史』のなかで、こうしたイギリス人の中国や日本に対する攻撃性(偏見や侮蔑も含まれる)について、次のように指摘しています。
 「当時のイギリス人にとって中国や日本はすぐれた文化をもった神秘的な先進国で、茶はまさにその代表的な文化にほかならなかった。・・・(茶の発見の背景には)豊かな東洋の食事文化への畏敬と憧憬があった。・・・東洋文化のシンボルであった茶は、(同時期に入ってきた)コーヒーやチョコレートに比べると、(歴史的伝統文化面で)はるかに高いランクを占めていたばかりか、西洋人に強いコンプレックスを抱かせるものであった。とくにコーヒーにおいてオランダに敗れたイギリスが、風土的条件に適していたこともあって茶を選択しなければならなかったことが、中国へのコンプレックスとなり、それがインパクトとなって逆に文化的・経済的・政治的レスポンスへとイギリスをかり立てることになる。このようにしてイギリス近代史が形成されていく」。
 次回は、角山栄著『茶の世界 緑茶の文化と紅茶の社会』(中公新書1980刊)によって、茶がイギリスに普及していった理由と背景を読み、その結果として、茶がアヘン戦争の原因になっていく過程を学びます。(この項つづく) 

 
 

 

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