もうひとつの密教の世界-チベット展から
定年退職の日、上野の森美術館で開催中の「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」展を見にいきました。この展覧会に対して、ダライ・ラマを支持する人たちは、チベットの真実の歴史を伝えていないとして、抗議のデモをしました。はたして展示は、チベットが歴史に登場した7世紀初めの吐蕃国から始まり、元・明を経て清の時代で終わっており、近・現代には触れていませんでした。
ほとんどチベットについての知識がない私は、この抗議行動についてはコメントできませんが、先の中国旅行をきっかけに、中国の多面的な顔をできるだけ知りたいと思い、このチベット展に足を運びました。
会場は一面、チベット仏教の世界でした。仏像、仏画、仏塔、経典、香炉、楽器など、チベットの密教美術の至宝が、並べられています。輝く黄金色と精緻な工芸細工の数々には、圧倒されました。また、日本の仏教美術を見慣れた眼には、これらは間違いなく、もうひとつの仏教の存在を教えてくれます。その最たるものが、忿怒歓喜仏(yab yum)と称される仏像たちです。
多面多臂多足(多くの顔面と腕と脚)で、恐ろしい形相をしています。何より驚くのはいずれも、女性の仏像を抱きしめていることです。図録から取った左図は、「カーラチャクラ父母(ぶも)仏立像」(チベット14C前半)。四面三眼二十四臂二足の姿で、四つの顔の表情は、眼を剥いて怒ったものや厳しく睨みつけたものなど、それぞれが違っています。一方、女性の方は、唇には濃い紅をさし、頭部や身体に装身具をつけていますが、裸体です。
もうひとつの「ヤマーンタカ父母仏立像」(清代・18C)は、牛頭が大口を開けて牙をむき出しにし、裸体の女性を抱きしめています。女性の方の左脚は、激しく相手方の胴に、巻きついています。このように赤裸々な性行為の姿勢をたもっている仏像は、日本の仏像の常識では、まず考えられません。どういう意味があるのでしょうか。図録解説では、慈悲の象徴である男尊(父)と空の智慧の象徴である女尊(母)の合一によって到達できる悟りの世界を象徴している、とのことです。ふうーんと、唸りたくなるような解説です。
ところで、こうした父母仏の姿は、在俗信者には見せるべきではないとして、寺に安置する時には、錦の衣をまとった姿で、祀られているそうです。それはそうだなと、初めて納得がいきました。しかし、僧侶たちがこうした仏像を拝して、修行を積んでいると聞くと、これも何か変な感じです。悟りからは程遠いところにいる私には、わかりません。否、そもそも「悟り」の意味から、考え直すべきかも知れない、などと考えながら、美術館を後にしました。
« マルクスの眼で考える | トップページ | 谷川岳 »
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: もうひとつの密教の世界-チベット展から:
» 『聖地チベット -ポタラ宮と天空の至宝-』@上野の森美術館 [猫好きエンジニアの呟き]
先日、「上野の森美術館」で開催されている、
『聖地チベット -ポタラ宮と天空の至宝-』
http://www.seichi-tibet.jp/
を見に行ってきました。
この展示は、
『世界的に注目を集めているチベット文化を紹介するわが国初の展覧会です。
ユネスコの世界文化遺産に登録されているポタラ宮や
歴代ダライラマの夏の離宮だったノルブリンカなど、
チベットを語る上で欠かせない各地の寺院や博物館から、
美術・文化の名品... [続きを読む]
« マルクスの眼で考える | トップページ | 谷川岳 »
コメント