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2009年11月23日 (月)

東アジア「読書共同体」構想のこと

 11月19日の朝日新聞朝刊に、外岡秀俊編集委員による「文化交流拠点を沖縄に」というコラムが、掲載されていました。10月末、韓国全州市で「東アジア出版人会議」が開かれ、そこで、「東アジア100冊の本」が発表された、とのこと。また同会議では、アジアでの安全保障や経済での共同体に先駆けて、まずは、文化共同体を目指そう、と論議されたことを紹介したうえで、外岡さんは、この「東アジア文化共同体」の交流拠点として沖縄を検討してみてはどうか、と提案しています。

 「東アジア出版人会議」については、このコラムではじめて知りました。早速、ネットで検索したところ、今年の会議と「東アジア100冊の本」についての新聞記事とともに、これまでの会議の詳細を伝える同会議のホームページがありました。東アジアの出版人たちの心意気の高さと熱意は、極めて、刺激的です。3年前のソウル会議での、同会議の呼びかけ人のひとりである龍澤武(元・平凡社取締役編集局長)さんの「東アジアの『読書共同体』について」という基調報告は、この会議の目的を明確に語っており、語られている内容も、大変興味深い。
 そのひとつは、平凡社の『東洋文庫』に収録されている『懲毖録』という本の話です。この本は、17世紀、朝鮮王朝の知識人政治家である柳成龍 Yu Song-nyong が、日本史でいう文禄・慶長の役の経緯について、後世へのいましめとするために、執筆したものだそうです。龍澤さんは、1633年に朝鮮で出版されたこの本が、1695年(元禄8年)というたいへん早い時期に、京都の版元によって刊行されたことに注目し、この本の読者は、富裕な商人層から上中層の農民まで、かなりひろがっていた可能性を、示唆されています。つまり、「東アジアにはかつて、時空を越えて同じ書物を読む「読書共同体」というべきものが存在していた」というのです。ところが現在、「同じ書物を読み、ともに思考する行為が、東アジアで真に共有されているとは、言い難い」と指摘されます。そこで、東アジアの国と地域の出版人が共同で、東アジア読書共同体を作っていこう、と提案されました。
 私も、読書人のひとりとして、是非、この運動に参加したい。勿論、今回選定された「東アジア100冊の本」を読むことを通しての参加です。私がひとり部屋にこもって、韓国や中国の本を読んでいるその時に、韓国や中国の人びとが、大学や図書館やあるいは自宅で、同じ本を読んでいることを想像するだけで、ワクワクします。大江健三郎さんや井上ひさしさんなどが関わっている「東アジア文学フォーラム」同様に、今後も、注目していきたい。
 外岡さんの提案された、沖縄を「東アジア文化共同体」の交流拠点とするアイデアにも、諸手を挙げて賛成したい。10数年前に、経済学者の森嶋通夫さんが、東アジア共同体構想を語るなかで、その首都を沖縄にするべし、と主張されていたことを思い出します。東アジア共同体について考える時、このような構想力を、縦横に働かせてみたいものです。  

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