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2009年11月 2日 (月)

ミルチャ・エリアーデ著『マイトレイ』

_1  エリアーデの『マイトレイ』は、イギリスの植民地カルカッタを舞台に、若い男女の出会いと恋の芽ばえから、ふたりの官能的な悦楽のときをへて、ついには娘の父親によってふたりの恋が破局を迎えるまでを描いた、悲恋物語です。ただ背景は、複雑です。1930年のインド社会では、宗主国と植民地、ヨーロッパとアジア、文明と野蛮、上流社会と下層社会、俗人と修行者など多様な背景をもった人びとが生活し、その間の緊張感が、ふたりの若い男女の恋愛に、深く影を落とします。(池澤夏樹編・世界文学全集Ⅱ‐03 河出書房新社刊より)

青年はヨーロッパ出身の設計技師で23歳、少女はベンガル語を話し上流カースト家族の16歳の令嬢です。青年「私=アラン」がはじめて少女「マイトレイ」にあったとき、「異様なさげすみの感情」が胸をよぎり、「ベンガル少女が私には醜く」見えたと告白します。そのアランが、上流社会で尊敬されている会社の上司でありマイトレイの父親であるナレンドラ・セン技師の好意によって、その家に住むようになります。アランにとってセンは、「怜悧で繊細、教養のある」魅力的な男でした。
 センは、インド生まれのイギリス人をアングロ・インディアンと呼んで蔑んでいますが、ヨーロッパ生まれのアランには、仕事上でも私的にも親切で特別のはからいをしてくれます。一方、アングロ・インディアンと呼ばれるアランの友人たちは、ベンガル人を「クロ」「汚い」といって憚りません。軽蔑しあう両者ですが、一方が、植民地の国民ながら上流階級に属し、裕福な生活を享受しているのに対して、他方は、宗主国の市民ですが、たとえばカーキ色の作業服を着て完璧なヒンディー語で現地人人夫を罵る、工事監督の地位に甘んじています。アランは、こうした両者の間で、仕事をし暮らしていたのです。

アランは、センの屋敷に暮らすうちに、マイトレイに対して強い関心を抱くようになります。ふたりは、ベンガル語とフランス語を互いに教えあい、徐々に親しくなっていきます。センと夫人は、ふたりを親しくさせようとしているし、もしかしたら結婚させようとしているのではないかと、アランはいぶかり煩わしささえ感じます。しかしアランは、そんなことをしたら「彼ら一族全員がカーストも名も失うはず」だと思い定めます。
 アランは、ベンガル社会のヨーロッパとは異質の習慣に、戸惑いながらも強く惹かれていきます。その最たるものは、「足の儀礼」でした。人に突き当たったときは、身を屈めて右手で相手の足に触らねばならない、人を蹴るような素振りは冗談にもやってはいけない、親しい友達同士は、足を触れ合って愛情をあらわす。マイトレイがアランの目前で、親族の女同士で足を触れあい、特に若い叔父とも同じ所作をしたときには、強烈な嫉妬心を覚えました。この小説でもっとも官能的なシーンは、アランとマイトレイが、足を触れあって愛情を交歓するところです。「私は思わず知らず足をふくろはぎの上の方へ、股関節の近くまで上げた。それは目もくらむほど柔らかく熱いという予感があり、褐色で純潔なことを推察していた」のです。このようにして、ふたりの「情熱が育っていく。牧歌と性欲と友情と献身のえも言われぬ自然の混合」のようになっていきました。
 マイトレイは、詩人や哲学者になることを夢みていました。タゴールに可愛がられ、詩集を
出版し講演会の講師をつとめ、その能力は、ベンガルのジャーナリズムによって賞賛されていました。マイトレイは、自分の愛する木を持っていました。それは、「七つ葉という木」で「高くて、凛としていて、でもとても優しくて、心を慰めてくれる木」であり「その木から別れられなくなって、もう一日中抱きしめて、話しかけて、口づけして、泣いたの」と打ち明けました。こうしたマイトレイの「非合理なところ、野生的な処女性、蠱惑」に、アランは夢中になってしまいます。そしてついに、ふたりは結ばれました。
 邸宅と云えども、同じ屋根の下に、両親初め多くの一族のものと一緒に暮らしているのです。ふたりの恋愛は、両親の知るところとなります。怒り狂った父親のセンは、「私に対しておかした忘恩と侮辱を知れ!」とアランを邸宅から追放し、さらに会社からも追い出します。このとき、マイトレイの家族でただ一人、ふたりの味方をしてくれる者がいました。12歳で不当な結婚を強いられ、夫の暴力に耐えてきた親戚の女性でした。「カーストの掟や家族の決まりを恐れずに事実を選べ」とマイトレイを励まし、いよいよの時は、駆け落ちをすることをすすめました。
 しかしアランは結局、センの怒りに負け、カルカッタからヒマラヤ山中へと逃避しました。アランとマイトレイの恋は、破局したのです。逃避行の途中、出会った修行者からも、何ら慰めを得ることもありませんでした。物語はこうして、恋の破局を告げて、おわります。
 
 それにしても不可思議なのは、父親のセンが何故、年頃の娘のいる自宅へアランを招き入れたかです。アラン本人感じていたように、両親はアランとマイトレイを結婚させようとしたのではなかったのでしょうか。否、センにとってふたりの結婚は、絶対に、許しがたいことだったのです。では何故?
 マイトレイの証言があります。パパの意図は、「アランを養子にする。年金生活になったらみんなで彼の国へ行こう。あそこなら自分たちのお金で王侯のように暮らせる。暑くないし内乱もない。あそこの白人はここのイギリス人のように邪悪でなく、同胞と見てくれる」。植民地の資産階級の発想が、こういうものであったと、知ることができます。そしてヨーロッパ人であるアラン自身もいずれは、「白人の世界、ヨーロッパ世界」へ戻っていくことを考えて続けていたのです。植民地インドにおける上流階級の人びとは、ことあらばいつでも、逃げ出していける場所を確保しょうとしており、先進国からの訪問者は、帰っていく場所を意識し続けているのです。インドの大多数の原住民とユーラシア人(アジア生まれのヨーロッパ人、アングロ・インディアンと呼ばれる人びとを含む)たちには、こうした場所は、無縁だったでしょう。

 「悦楽の神話」と評されたこの小説を読みながら、この悦楽の背景に潜む、植民地インドにおける上流階級の人びとのむき出しのエゴイズムと、大多数の人びとが運命に逆らうことができずに生き続けてきたことを、行間に読み取ることができました。

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