空海著『三教指帰』を読む
24歳の空海(774-835)が、この『三教指帰』(角川ソフィア文庫07刊)を著した動機は、大学を中退して仏道に向おうとする空海に反対する人々への抗議の気持ちと、放埓な生活を送る甥への憤りのためでした。大学では、儒教を学んでいたのですが、それは律令制下では、将来の出世への第一歩を意味しました。空海は、将来の出世と名誉の道を棄て、仏道修行に進んだのでした。。
5人の人物が登場します。兎角公(とかくこう)という人物とその甥。甥の蛭牙公子(しつがこうし)は、酒色におぼれ放埓な生活を送っています。この蛭牙公子を戒めるために、兎角公の家に、まず亀毛先生という儒学者を招き、次に虚亡隠士(きょぶいんじ)という道教の修行者を迎え、最後に仮名乞児(かめいこつじ)と呼ぶ青年僧侶が登場します。この仮名乞児こそ、空海その人です。
まず儒教を代表して、亀毛先生が登場します。中国の代表的な古典をすべて記憶し、弁舌もたつ立派な人物です。亀毛先生の主張は、人は放っておけば悪の方向に流れる、だから、道・徳・仁・義・礼・智・信を離れないように生活しなければならない。こうした努力の結果、地位と名誉が得られ、富貴とよき配偶者も得て、幸せな人生が送れる。これが真の幸福である、と。蛭牙公子は、亀毛先生のおしえ通りに励むことを、約束します。
そこに道教の修行者虚亡隠士があらわれ、亀毛先生に反論します。儒教の教えは、世俗の欲望を追及する行為であり、それははかなく痛ましい、と退けます。「わずかばかりの幸せや楽しさが早朝にやってくれば有頂天になって喜び、神仙の楽しむ天上の清福を嘲笑って顧みないが、反対に少しばかりのうれいが夕暮れにやってくれば、もうまるで泥に埋められ火に焼かれるかのような悲しみに暮れてしまう」。人間の幸福は、静寂な天上の楽しみや喜びのなかにこそあるのだと主張しました。天上は、「もはや欲望などまったくなく、淡白であり、ひっそりとしてすべて静かで、もの音一つしない。まさに天地とともに永く生存し、日月と共に久しく安らかな、楽しい境界なのである。なんと優れた、何と遥かなことであろう」。これについて話しを聞いていた兎角公と蛭牙公子と亀毛先生の3人は、今後「末永くこの道教を味わって参りたい」と声をそろえました。
最後に、みすぼらしい姿をした仮名乞児という青年僧侶が、登場します。亀毛先生と虚亡隠士の激しい論争をみて、乞児はこう思いました。「二人ともその主体は雷光に似たはかない身体でありながら、生物の1人として囚われの人生を過ごしており・・・その住んでいる世界(は)・・・仮の世界なのである」と。
しばらく、仮名乞児の弁論に、耳を傾けます。
「原初(おおむかし)からいまにいたるまで、初めというものもなく、その数も無限なのです。私たちは、まるで輪のようにぐるぐると、すべての生物の間を迷いながら生まれかわっていくのです。車輪のように轟々と六道を輪廻していきます。・・・あなたも私も大昔からこれまで、かわるがわる生まれ、かわるがわる死んでいく身であり、すべてが変化しながら連続していく無常なものなのです。」
「無常という暴風は、神仙さえもようしゃしませんし、精魂をうばうどうもうな死神は、貴賎の身分などまったく区別しないのです。生命は財宝をもって購うこともできなければ、権勢を持って引き留めることもできないのです。寿命を延ばすという仙薬の神丹を千両も服んだとしても、また魂を呼び返すという奇香の返魂香を百斛(こく)も焚いたとしても、失われた生命を戻すことができましょうか。地底の深い泉への旅立つのを止めることができましょうか。」
仮名乞児の語る人生の無常と地獄の苦しみについて、涙ながらに聞いていた亀毛先生と虚亡隠士のふたりは、みずから信じてきた儒教と道教について、「長い間、瓦礫にも似た教えをもてあそんで、わずかな楽しみに耽って満足していました」と、痛烈な自己批判をします。若き空海の儒教・道教批判は、辛辣です。
「私たちは、菩提心という、仏陀に向かって進む心を、迷いの人生の夕暮れに発し、心の真の自由と平和、仏教の最高目標である涅槃の境地を、悟りの朝に仰いで生きていこうではありませんか」。
「(菩提と涅槃)の世界こそ生滅を超えており、改変することもなく、増減を超えていて盛衰の無いものです。これこそ、無限の時を踰(こ)えた円満な寂けさであり、過去・現在・未来の三際を通じて変化を超えた無為の境地なのです。ああ、菩提(さとり)と涅槃(やすらぎ)の境涯は、なんと偉大なものではないでしょうか。また何と広びろとしたものではないでしょうか」。
「仏の道は、・・・すべての人々〈一切衆生いっさいしゅじょう)を覆い包む無限の大慈悲の道であり、母親が一人子を愛するように仏は一切衆生という一人子を限り無く愛しているのです。そしていま、この一人子が溝に落ちて苦しんでいるのです。静かな涅槃の境涯にあった仏陀はこれをみると悢々と心を痛まれ、これを思いやること切でありました。・・・仏陀はこの宇宙の百億の分身の仏陀を示現して衆生を救済されるのです」。
このようにして、大乗仏教の教えが、語られました。
空海の儒教批判は、中退した大学批判であり、その大学によって将来の地位と名誉が約束されている律令制への批判を、含んでいるのかもしれません。平安朝が始まったばかりの時期で、旧体制への批判が強かったと想像できます。また、『詩経』から「過酷な政治のために親孝行する余裕の無い民の悲しみ」を歌った詩について触れ、「私もこれらの歌をいつも心に思い起こしています」と書いています。中国の詩への共感を通して、政治への批判の立場が明確です。平安朝初期における、空海の政治的な立ち位置を、想像させます。
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