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2009年11月16日 (月)

映画『ポー川のひかり』

Photo  ボローニャ大学の古く威厳に満ちた図書館。聖人像が見下ろす広大な床一面に、太い釘で磔となった古文書が累々と、横たわっています。捜査に来た女性検事は思わず、つぶやきます。「まるで天才芸術家の作品」。『薔薇の名前』を思い出させるような、重々しくスリリングな始まりです。
  (エルマンノ・オルミ監督作品『ポー川のひかり』(原題“Cento Chiodi” 百本の釘 イタリア 2006年)。

 若い哲学教授は、これまでの思想や宗教に懐疑的であり、夏休み前の講義を終えると大学を捨て、森や牧場のなかを流れるポー川を遡っていきます。携帯電話を放り投げ、車のキーやスーツなどを、ゆったりと流れるポー川に捨ててしまいました。そして河川敷の廃墟となった石造小屋にたどり着き、ここを根城として、あらたな生活が始まります。河川敷には、多くの村人が住みついており、この村人たちとの交歓のなかに、今までにない喜びと生きがいを感じます。物語は、サスペンスや難しい神学論争は脇へ追いやられ、美しいポー川とその河川敷でくり広げられる、貧しい人びととの豊かなスローライフへと展開していきます。2
 印象的なシーンが、いくつも出てきます。それらはみんな、村人たちのゆったりとした日常生活です。原チャリに乗った、ちょっと変わった女の子は、大声で客の名前を叫びながら パンを配達してまわります。夜の川辺では、老若男女が集って、ダンスパーティーが開かれています。それはそれはみんな、幸せそうな笑顔でいっぱいです。しかしこの河川敷は、国有地であり、村人たちは不法占拠をしていると、役所から警告されます。「なんで、ここに住んでいるのか」について、村人たちが代わる代わる、教授に話すシーンがありました。そのひとりが語りました。夢の中で魚釣りをしていたら、魚たちが笑っていた、わしを見て笑った、と。
 教授は最後の講義で、ヤスパースの言葉を引用しました。「精神性が利益に置き換えられ、儲けることが全てになった」と。ここには、新自由主義批判があります。そしてオルミ監督は、河川敷の村人たちの生活に、もうひとつの世界のイメージを、描き出してくれました。
 
 先日観た『湖のほとりで』に続いて、イタリア発の極めて良質な作品を、静かに堪能することができました。  

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