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2009年12月 2日 (水)

菅原道真著『菅家文草・寒早十首』を読む

 京都の北野天満宮の近くで生まれ育った私は、幼児のころから、天満宮と菅原道真を一体のものとして、「天神さん」と呼び親しんできました。50年に一度の本殿屋根の葺き替えのため、母が北山の農家の女衆とともに、桧皮(ひはだ)を束ねる作業を手伝っていたことを思い出します。毎月25日の縁日「天神さんの日」は、境内は屋台や見世物小屋でにぎにぎしく、子どものころの楽しみのひとつでした。また、広々とした境内は、夏休みのラジオ体操やソフトボール大会の会場であり、毎日の放課後の遊び場でもありました。

 にもかかわらず、還暦を越して数年たった今日まで、菅原道真の書いたものを一行たりとも、読んだことがありませんでした。加藤周一が、彼の主著『日本文学史序説』において、菅原道真の漢詩の到達点を、「日本文学史上の画期的な事件」と評価していることを知り、ネットで検索のうえ、はじめて菅原道真の詩を読んでみました。
 まず「寒早十首」(『菅家文草』)。五言八行の詩十首からなるこの詩は、すべて、「何人寒気早 何れの人にか寒気早きか」と問い、「寒早○○人 寒気早し○○の人」と答える形で始ります。そして、偶数行末尾に「人・身・貧・頻 人の身の貧しきこと頻(しき)り」を韻字としています。十首はそれぞれ、逃亡農民、浮浪者、年老いた寡夫、孤児、薬草園の園丁、馬子、船頭、漁師、塩売り、木こりをあげて、「この人たちに、冬の寒さが早くやってくる」といいます。痩せた土地、貧困、飢餓、病気、孤独、重税そして失業。9世紀の下層社会の人びとの、苦しみや悲しみが、切々とうたわれます。二首引用します。
 第三首の妻を亡くした老人に詩。(読み下しおよび現代語訳は、「寒早十首」(『菅家文草』)から引用)

何人寒気早   何人にか、寒気早き
寒早老鰥   寒は早し、老いたる鰥ヤモメの人
転枕双開眼   枕を転がし、双ナラび開く眼
低簷独臥   簷ノキを低タれて、独り臥す身
病萌逾結悶   病萌キザしては、逾イヨイヨ悶モダえを結び
飢迫誰愁   飢迫りては、誰に貧を愁ウレふる
擁抱偏孤子   擁抱ヨウホウす、偏へに孤ミナシゴなる子
通宵落涙   通宵ツウショウ、落涙頻シキリなり

どんな人に寒気は逸早く堪コタえるのか
それは年老いた寡夫だ
輾転反側して、眼はいよいよ冴え返り
あばら家の伏屋に独り寝の寒さよ
病発しては悩みは更に茂まく
飢え迫るも誰が面倒を看て呉れよう
母親に別れた子を抱いて
夜すがら頬を濡らすことよ

 二つ目の詩は、失業の怖れをうたった、第七首を引用します。(「漢詩和歌快説講座」から)

何人寒気早   何れの人にか 寒気早き
寒早賃船   寒は早し 賃船の人
不計農商業   農商の業ワザを計らず
長為
   長く直シウチョクせらるる身
立錐無地勢   錐キリを立てんとすれども 地勢無く
行棹在天   棹を行なへども 天貧テンヒンに在り
不屑風波険   風波の険しきは屑セツならず
唯要受雇  唯要モトむるのみ 雇ヤひを受くること頻シキりならんと 

誰に 冬の寒さは早く訪れるのだろう
冬の寒さは早く訪れる 雇われて船を出す人に
農業や商売という仕事(に従事すること)を考えることなく
いつも(
人に)雇われる身
錐キリの(先を)立てようとしても(
それだけの)土地もなく
棹を使っても 生まれつき貧しいままである
風や波が激しいのは気にならない
ただ 頻繁に雇ってくれるようにと願うばかりである 

 加藤周一は、菅原道真の漢詩が画期的である理由のひとつに、この「寒早十首」をあげ、「庶民の飢えと寒さをうたったのは、憶良の「貧窮問答」以後、平安時代を通じて、ただ道真の詩集があるだけ」と指摘しています。冬の寒さに庶民の苦悩を感じとった道真の視線に、平安時代初期の政治のありようの一端を、垣間見ることができます。そうした道真が、藤原氏の陰謀の犠牲となって、遠く大宰府の地に流されたのも、当時の政治の現実でした。
  それにしても、貧困と失業が蔓延し、病気と離別に人びとが苦悩する今日の日本社会と、道真が漢詩のなかでうたった9世紀の日本社会が、如何ほどの違いがあるというのでしょうか。

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