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2009年12月29日 (火)

『うつほ物語』が『源氏物語』と『今昔物語』を準備した

  『うつほ物語』(952-965頃)は、遣唐使清原俊蔭が、波斯国の天女から授かった琴と技法を、四代に渡って伝授していく伝記風の物語と、絶世の美女への求婚譚や皇位継承をめぐる藤原氏・源氏両家の対立を描いた世俗物語からなる、わが国最初の長編小説です。
 私はこの小説を、細部の表現の美しさや平安時代についての新鮮な知識に刺激されながら、波乱万丈の展開に心躍らせ、読みつづけました(宮城秀之編『うつほ物語』角川ソフィア文庫・主な巻の抜粋現代語訳)。加藤周一は、日本文学史上、『源氏物語』と『今昔物語』の源にあった大きな記念碑のひとつとして、この『うつほ物語』を位置づけています。

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2009年12月25日 (金)

悲しい出来事

 この日曜日に、甥が亡くなりました。2年前に肺がんを患っていることが判り、その後、長い闘病生活を続けていたのですが、ついに、帰らぬ人となってしまいました。40歳の若さで、あとに妻子4人を残しての逝去でした。

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2009年12月17日 (木)

慶滋保胤著『池亭記』を読む

 加藤周一は、平安時代の文学を論じるなかで、社会批判は、和歌やかな書きの物語には、ほとんどないか極めて少なく、漢詩文においてのみあった、と指摘します。しかしそれは、中国文学の一面のみをならったものであり、「政治社会の「俗」を離れて、隠棲の「雅」に就く・・・・・逃避の前提としてのみ」社会批判に及んだのだとしています。その代表的な作品として、慶滋保胤著『池亭記』(982年)をあげています。
 「日本国の文人の理想の一つは、いつの時代にも、市井または山中に隠れて、悠々自適の生活を送ることであった。社会からの逃避のその独特の形式を、見事に決定したのが、「池亭記」の名文であった」と紹介します。(加藤周一著『日本文学史序説』から)

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2009年12月14日 (月)

韓国併合100年

 来る2010年は、大日本帝国が大韓帝国を併合して100年目の歴史的な節目の年になります。日本にとってのこの100年は、36年間におよぶ朝鮮植民地支配(そのなかに15年戦争を含む)時代と、戦後の65年間にあたります。戦後の65年間は、朝鮮戦争と南北分断があり、日本は、その北半分とはいまだ国交はなく、南の韓国との間ですら、ここ数年の活発な交流にかかわらず、真の和解にはほど遠い感じがします。
 『世界』1月号は、この「「100年」は、日本と朝鮮半島をめぐる近現代史を考えるための象徴的な時間と捉えるべき」だとして、特集「韓国併合100年-現代への問い」を掲載しています。

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2009年12月 9日 (水)

加藤周一著『日本文学史序説』を一緒に読みませんか?

 昨年12月、加藤さんが亡くなられた次の日、高崎の書店で手にしたのが、この本(以下『序説』という)でした。本棚に並べたまま1年が経ったのですが、10月の定年退職を契機に、読みはじめました。200ページほど読み進んだところで、加藤さんの博覧強記に圧倒され、刺激的な言説に眠気を覚まされ、無知無学を自覚させられた私は、『序説』で取りあげられた日本の古典に、いきおい向かわざるを得ませんでした。『序説』をテキストに、古典文学を読んでいくというスタイルの読書です。

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2009年12月 5日 (土)

「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ・ブレッソン」写真展

Itabeiakita  写真は、とき(時間と時代)を切りとる芸術であることを、しみじみと、感じさせてくれました。たとえば、木村伊兵衛の「板塀、秋田市追分」(1953)は、左に通りすぎる農耕馬を切りとり、50年代前半の秋田を切りとっています。恵比寿の東京都写真美術館で開催中の『木村伊兵衛とアンリ・カルティエ・ブレッソン-東洋と西洋のまなざし』を観て、そのように感じました。

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2009年12月 3日 (木)

菅原道真著『菅家後集・叙意一百韻』を読む

 加藤周一は、菅原道真の漢詩を日本文学史上の画期だとする二つ目の理由を、政治に翻弄された自己の運命を、あるいは怒り、あるいは嘆く詩に求めています。こうした詩は、中国の古典に多く(例えば杜甫)、日本のそれにはほとんどなかったとして、「その意味で大陸の詩的世界に近づいたわが国最初の詩人は、おそらく道真である」と評しています。『菅家後集』から「叙意一百韻」ほかをよみます。

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2009年12月 2日 (水)

菅原道真著『菅家文草・寒早十首』を読む

 京都の北野天満宮の近くで生まれ育った私は、幼児のころから、天満宮と菅原道真を一体のものとして、「天神さん」と呼び親しんできました。50年に一度の本殿屋根の葺き替えのため、母が北山の農家の女衆とともに、桧皮(ひはだ)を束ねる作業を手伝っていたことを思い出します。毎月25日の縁日「天神さんの日」は、境内は屋台や見世物小屋でにぎにぎしく、子どものころの楽しみのひとつでした。また、広々とした境内は、夏休みのラジオ体操やソフトボール大会の会場であり、毎日の放課後の遊び場でもありました。

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