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2009年12月 9日 (水)

加藤周一著『日本文学史序説』を一緒に読みませんか?

 昨年12月、加藤さんが亡くなられた次の日、高崎の書店で手にしたのが、この本(以下『序説』という)でした。本棚に並べたまま1年が経ったのですが、10月の定年退職を契機に、読みはじめました。200ページほど読み進んだところで、加藤さんの博覧強記に圧倒され、刺激的な言説に眠気を覚まされ、無知無学を自覚させられた私は、『序説』で取りあげられた日本の古典に、いきおい向かわざるを得ませんでした。『序説』をテキストに、古典文学を読んでいくというスタイルの読書です。

 古典文学は、高校時代の古文の授業で、さわりの部分をつまみ食い程度に、しかも、文法と古語に振りまわされて、あまり面白くなく、読んだことを思い出します。そこで今回は、文法と古語を無視し、現代語訳で読むことにしました。遠くの未知の外国人の本は、何らためらうことなく、翻訳に頼って読んでいるのですから、古代人についても、「まあっ、いいか」という感じです。
 まず、万葉集から、ネットで検索の上、読みはじめました。勿論、加藤さんが『序説』で引用の上論説されている詩歌が中心です。これだけでも50首近くあります。万葉仮名にはじめて触れました。古代の人びとが、独自の文字を持たずに、隣りの文明大国、中国(隋・唐)の文字を借用して、恋(相聞)と死別(挽歌)と酒(讃酒歌)と妻子への思いと老いの憂いなどを、懸命に歌っています。一首だけ引用します。大伴旅人の讃酒歌。
 万葉仮名 痛醜 賢良乎為跡 酒不飲 人乎熟見<> 猿二鴨似
 訓  読   あな醜ミニクシ サカしらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似む
 現代語   ああ醜い、酒も飲まずに利口ぶっている人をよくみると、猿に似ているわい
      (巻三‐344)    サイト「万葉集に親しむ」から・この項修正しました。
 こんな詩歌なら、いくらでも読んでみたいものです。
 余談ですが、書店で角川文庫の『万葉集』を立ち読みしていたのですが、その編集者「伊藤博」先生は、高校時代の古文の先生でした。同じ町内に住んでいたこともあって、懐かしい気持ちで一杯でしたが、先生は序文に、「万葉集は、まず原文(訓読)でじっくり味わい、解釈や現代語訳は、その後にすること」とする旨の鑑賞心構えを記されていました。「カンニングはアカン!」と、あの世から叱られた感じでした。
 次に読んだのは、空海著『三教指帰』。こちらはネットでは検索できませんでしたが、幸い角川ソフィア文庫「ビギナーズ日本の思想」シリーズにありました。100ページ弱の文庫で現代語訳も平易、比較的容易に読むことができました。これは、2週間前の当ブログで紹介しました。その後、菅原道真著『菅家文草』と『菅家後書』から『序説』で論じられた漢詩数首を、ネットで検索し、読みました。加藤さんが、古代文学史上画期的な詩人というだけあって、ほぼ同時代に書かれた紀貫之の『土佐日記』と比較してみて、詩の題材は格段に広く、対象を見る眼は厳しく、政治や社会への関心は強烈で、おもわず引き込まれました。『序説』では引用されていませんが、こんな詩もありました。先週に引き続いての引用で、すこし気が引けますが、これは是非、書き留めておきたい。

 紈質何為不勝衣   紈シラギヌなす質カタチの何為ナニユエぞ衣に勝へざらむ
 謾言春色満腰囲   謾イツワりて言ふ、春色腰の囲りに満ちてりと
 残粧自懶開珠匣   残粧自から珠匣シュコウを開くに懶モノウし 
 寸歩還愁出粉囲   寸歩、還マタ粉囲を出づるを愁ふ
 嬌眼曽波風欲乱   嬌眼、波を曽カサねて、風乱さんと欲す
 舞身廻雪霽猶飛   舞身雪を廻して、霽れて猶ほ飛べるがごとし
 花間日暮笙歌断   花間日暮れ、笙歌断つ
 遥望微雲洞裏帰   遥かに微雲を望みて洞裏トウリに帰る

 九世紀末の詩人が、中国語で、このような詩を書きました。これにテレパシーで感応した二十世紀後半の詩人が、この世紀にふさわしい言葉で、平安朝の詩人の言葉を書き移しました。

 舞姫たちのなめらかな肌はどうして薄衣にさえ耐えないように見えるのか。
 春の気色が腰のまわりに満ちているからだと? 嘘をおっしゃい!
  舞が終ってその化粧が崩れかかり、珠の手箱を持っているのも懶モノウそう
 後宮へ通ずる白い小門までのわずか数歩さえ耐えられそうにない。
 彼女たちの媚びの眼くばせは、繰り返し押し寄せてくる波に風が乱れるよう
 くるりと舞う身体からは、晴れたあともまだ飛び散る雪のようなものが・・・・・・
 花のあいだに日が暮れて、フルートの音が消えた。
 仙人は微かな雲を遠く見て、遥かな洞穴に帰って行くだろう・・・・・・

 現代語訳は、中村真一郎の小説『遠隔反応』(新潮社1969年刊)のなかに出てきました。この小説は、主人公の「私」が、平安朝の詩人(菅原道真という名前はあかされません)とテレパシーで交流し、ある女性と官能的な恋愛を経験したことを、追憶します。この項、『序説』読書中の道草でした。中村真一郎は、始めて読みました。加藤周一、福永武彦とともに、戦中戦後、日本文学を研究しあった仲間のようです。菅原道真の漢詩が、三人共通の関心事であったのだろうと想像します。

 とりとめのない文章になってしまいましたが、まあこんな具合に、加藤周一著『日本文学史序説』を読み始めていることを、紹介しました。 
 

 




			

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