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2010年1月11日 (月)

土偶とは何?

 土偶は、人形ヒトガタをした土製の焼物です。古くは、縄文時代草創期の1万2千年前に現われ、縄文時代を通して作成され、そして弥生時代半ばに、その姿を消します。なんと、1万年以上にわたり、作りつづけられました。では、この土偶の役割とは、何だったのでしょうか?昨日紹介した多くの土偶をみていると、単なる玩具や飾り物だったとは、思えません。 

 昨日見た7体の土偶は、山猫風のものを除き、他は全て女性でした。しかも、明らかに妊娠している像が2体、正中線を強調しているものが3体、壊わされているものが4体ありました。また、死者に副葬されたものが2体あります。現在までに発掘された土偶の数は、15000体ほどあるということですが、その多くが、上記5点の特徴を備えているということです。つまり、女性・妊娠・正中線・破壊・副葬の5点です。今回の展示品全体を見渡しても、確かに、この指摘に肯くことができます。
  哲学者の梅原猛さんは、「土偶とは何か?」と自問し、これら五つの条件をみたす役割こそ土偶の真の役割だと考え、極めて刺激的かつ興味深い見解を提起しています。(梅原猛稿『土偶の神秘-死の尊厳と再生への願望』 同氏監修「人間の美術1-縄文の神秘」所収 学研03刊から)
 梅原さんは、多くの土偶を見つめていて、そこに「放心、絶望、悲しみの表情」を読み取ります。また、かの遮光器土偶の「かたく閉じられた巨大な目」には、「沈痛な表情」を、そしてそれは「この身体全体におおいなる悲しみをかかえている」と考えました。こうした土偶の表情に強く惹かれた梅原さんは、土偶のもっていた役割を考えていきます。
 まず、土偶のほとんどが、お腹に子供を孕んだ女性像であることについて。縄文人にとっての最高の価値は、生産にありました。人間と獣と植物の生産、その中心に性がありました。しかし子供の出産には、性行為だけではなく、祖先の霊の助けが必要でした。「祖先の誰かが新しい子供となって生まれ変わってくる」と縄文人は考えました。つまり土偶は、「人間の死と再生」にかかわっているのです。「再生」が子供の出産として現われたのにたいして、「死」は霊送りの儀式として現われました。しかし、子供の霊は、あの世へは送られにくい、「ほとんどこの世で楽しい目をみることのなかった子供の魂をあの世へ送るのはかわいそうだ」という考えから、土器の中に子供の亡骸を入れて家の入り口に逆さまに埋めたという「埋甕ウメガメ」の風習ができました。その上の土を人が踏めば踏むほど子供の霊は早く帰ってくると縄文人は考えたのです。縄文時代の平均寿命が、10代前半と推定されることから、乳幼児死亡率の極端に高かったことを窺わせ、縄文人にとって子供の死は、放心と絶望と悲しみをもたらす、日常的な出来事であったはずです。いったん出産して死んだ子供は、このように丁重に、葬られました。しかし、「腹の中にある胎児のまま母親の死にあって死なざるを得なかった胎児はいったいどうなるのか」。梅原さんは、胎児の死に焦点を絞って、土偶の役割について、考えをすすめて行きます。
 祖先の霊が再生した胎児の霊は、母親の霊と同じく、あの世へ送らねばなりません。「祖先の霊を母親の胎内に閉じこめてむなしくさせたら・・・・・多くのたたりを生ずるにちがいない。とすればどうすればよいか。それには母の腹を裂き、その胎児をとり出し、それを葬って、その霊をあの世へ送る必要がある」。実は、これは梅原さんの単なる想像ではなくて、近年まで残っていたアイヌ社会や福島県のある地方の風習にヒントを得たものです。梅原さんは、これらの風習に強烈に示唆されて、土偶の役割解明へと進んでいきます。上に見た、ほとんどの土偶に共通して見られた「正中線」の意味を解きます。「正中線」は、胎児を母親からとり出したときの「腹を割った傷」である、という。つまり、「妊娠した女性が死んだとき、腹を切って胎児をとり出し、その女性を胎児とともに土偶をつけて葬ったのではないか」。「副葬」の意味も、おのずから理解できます。
 最後に残ったのが、「破壊」です。出土した土偶の多くが、首や手足を欠いて完成品であることは、極めて少ない。このことも、母親・胎児・土偶の埋葬に関係があると、梅原さんは言います。あの世とこの世はあべこべである。「この世で完全なものはあの世で壊れる。この世で壊れたものはあの世で完全になる。とすると、壊れた土偶は本来、あの世へ送り届けられるものとしてつくられた」のではないか。
 こうして、土偶の五つの共通した特徴、「女性」「妊娠」「正中線」「副葬」「破壊」について、必要にして十分な、推定が成り立ったのです。最後に梅原さんは、土偶に秘められた縄文人の深い悲しみと、亡くなった母子への深い思いやりに想像をめぐらせながら、この稿を閉じています。

 土偶の役割については、専門の考古学者の間でも未だ、定説はないようです。そして、今回の展覧会図録に紹介された学説のなかには、梅原説はとり上げられていません。しかし、この梅原論文を読んだ後、あらためて、展覧会図録と『縄文の神秘』に掲載された土偶たちをみなおしてみると、梅原さんのみた「放心、絶望、悲しみの表情」に強く共感します。そして、その悲しみの原因を想像したとき、やはり人の死、なかんずく子供の死に、行き着きました。
 多くの土偶は、地方の博物館に、陳列されています。これからの旅行に、楽しみがひとつ付け加わりました。今回の展覧会でみた土偶たちとの再会と、あたらしい土偶たちとの出会いが、待っているはずです。
 

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