« 土偶とは何? | トップページ | 映画『母なる証明』 »

2010年1月14日 (木)

普天間基地移転問題を考えるために

  沖縄・宜野湾市を、グーグル・マップの航空写真で検索してみると、市の中央部を広大な飛行場が占有しており、これが米軍海兵隊普天間基地であることは、容易にわかります。滑走路には、軍用機が3機、ヘリコプターが9機駐機しています。ヘリコプターの先頭が向いている東北方向に画面を移動させていくと、滑走路につづき芝地と樹林があり、そして基地に直接隣接して、「みらい保育園」があります。ヘリコプターの地点から1200メートルくらいのところです。近くには、小児科や眼科の医院、小・中学校、教会、アパート、マンション、商店があり、地域全体は住宅地となっているようです。基地の南西方向に目を転じてみると、多くの英名のマンション群に囲まれて、沖縄国際大学のキャンパスがあります。

  1995年9月、海兵隊所属の米兵3名による女子小学生の拉致・集団レイプ・監禁事件が起こりました。容疑者はすぐに判明したのですが、起訴前の米兵引き渡し不可、との日米地位協定のため、容疑者が日本側に引き渡されませんでした。このため、沖縄全土で反基地感情が爆発、日米地位協定見直し、米軍基地の縮小・撤廃運動に発展しました。宜野湾市での抗議集会には、8万5千人の県民が参加しました。
  この事件を契機に、日米両政府による米軍基地見直し作業が行われ、96年12月、「沖縄に関する特別行動委員会SACO」が最終報告を発表しました。「今後5乃至7年以内に、十分な代替施設が完成し運用可能になった後、普天間飛行場(など11の基地を)返還する」という内容です。その代替施設が、名護市辺野古海上基地です。しかし、基地を返還するというSACO合意には、米軍基地の「統合・強化・近代化」計画が隠されていることが、市民グループによって明らかにされています(1)。少女暴行事件とは無関係に、米軍が1966年以来、辺野古に飛行場をつくることを目論んできていたというのです。
  SACO合意から7年余たった2004年8月13日、米軍ヘリコプターが、沖縄国際大学構内に墜落・炎上するという事件がありました。普天間基地で懸念されていた最悪の事態が、起こったのです。このときの米軍の対応は、「ヘリ墜落と同時に海兵隊員が隣の基地から大挙して大学に押しよせ占拠し、軍機保持・証拠隠滅のため非常線を張って大学関係者やマスコミを追い出した」のです(2)。沖縄サイドの関係者の、歯軋りするような悔しさが、伝わってきます。
 グーグル・マップの航空写真の画面を、沖縄本島の南半分表示大にして、宜野湾市から東北方向に進んでいくと、名護市があります。この名護市を中心に画面をアップしてみると、東側海岸に、キャンプ・シュワーブ、辺野古崎などの表示が出てきます。ここが、移転先とされているところです。辺野古崎周辺の航空写真を最大限にアップしてみると、美しいさんご礁の海を見て取ることができます。ジュゴンが餌の海草を食べているところです。しかし、ここにも基地を抱えた沖縄の現実があります。作家の目取真俊さんの証言です。
 「当時(80年代後半)、辺野古にある中学校で補充教員をしていた。朝礼をしているグラウンドに機関銃の射撃音が鳴り渡り、砲撃演習の着弾音や走り回る戦車のキャタピラの音が教室にまで響いてきた。すでに米軍基地の演習被害にさらされている地域に、さらに基地の負担が押し付けられる。しかも、少女の事件が起こった北部の地に新たな基地が建設されるということは、勇気を持って訴えた少女と家族をこれ以上ないほど冒涜することではないか(3)」。ジュゴンの住む美しく静かなさんご礁を望む海岸にも、既に、軍靴かが高らかに響いているのです。沖縄には、新しい基地をつくる余地は、ないのです。
 沖縄の人々の不幸を、これ以上見過ごし続けるわけには行きません。ここ4,5年の間に、「世界」誌上に書かれた普天間移設問題についての論文を読み直してみて、改めて感じました。そして、今月号の「世界」(2月号)も、100ページ近くを使って、普天間移設問題を特集しています。是非読んでみて欲しい。1月24日(日)には、名護市市長選挙が投開票されます。基地容認派と反対派が、激突しています。この選挙結果は、恐らく、鳩山政権の判断に大きく影響を与えるものと思います。鳩山政権にとって普天間基地移設問題は、今後、国民の立場に立って政権運営をしていくのか、それとも従来の自公政権同様に、米国の鼻息を伺いながらやっていくのかが問われる、試金石となっています。 

(1)真喜志好一稿『米軍再編の裏に隠された辺野古の開示用基地機能』(「世界」06.4号)
(2)桜井国俊稿『新たな琉球処分としての日米グァム協定』(「世界」09.7号)
(3)目取真俊稿『名護で考える』(「世界」06.4号)

« 土偶とは何? | トップページ | 映画『母なる証明』 »

コメント

昔の普天間基地の写真 http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:MVY9ORkhON4J:monomousu269.blog89.fc2.com/blog-entry-181.html+%E6%99%AE%E5%A4%A9%E9%96%93%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E3%80%80%E8%88%AA%E7%A9%BA%E5%86%99%E7%9C%9F&cd=19&hl=ja&ct=clnk&gl=jp を見ると、補償金狙いの乞食が多いのが良く解りますよ。

1944年、沖縄線前 http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2655/1843.html
1970年、沖縄返還前 http://inkh2.tumblr.com/post/274383799/1970-45-000-2009-92-000
ここ40年間にいかに増えたかが良く解ります。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/155294/47292938

この記事へのトラックバック一覧です: 普天間基地移転問題を考えるために:

« 土偶とは何? | トップページ | 映画『母なる証明』 »