ジャン・ピエール・メルヴィル監督『海の沈黙』
この映画は、ふたつの作品を、映像化しています。作家ヴェルコールの『海の沈黙』という小説(フィクション)と、フランスの作家たちがナチスの占領下、抵抗文学の拠点とした「深夜叢書」の第一冊として、この小説を刊行したという事実(ノンフィクション)の、ふたつです。映画の冒頭、路上で秘かに、皮製の旅行鞄がひとりの男から他の男に、手渡されます。スパイ映画の冒頭シーンの趣きです。鞄の中には、“LE SILENCE DE LA MER”と題された本が、隠されていました。そして次のテロップが流れます。
「残忍なナチス・ドイツの犯した犯罪が、人々の記憶からぬぐい去られない限り、この映画は仏独関係の改善に寄与しない」。
ナチス・ドイツ占領下のフランス。ある村の一軒家に、年老いた伯父と姪が、暮らしていました。暖炉のある居間では毎晩、伯父はコーヒーを飲み姪は編み物をして、静かに過ごしています。そこに、ドイツ軍の将校が、二階の部屋を借りにやってきます。やむを得ず借りたことを弁解し、祖国を愛している人を尊敬すると、礼儀正しく言葉をかけました。伯父と姪は、徹底した沈黙で迎えます。将校は毎晩、ふたりのいる居間に下りてきて、身の上話を語ります。最早、ふたりからの返事を待ち望むこともなく、ひたすら語り続けます。
自分は作曲家であり、フランスに憧れ、その文化と精神を尊敬している、と。イギリスといえばシェイクスピア、イタリアならダンテ、スペインならセルヴァンテス、そしてドイツはゲーテ。しかしその次は、すぐには出てこない。フランスは、モリエール、ユゴー、ヴォルテール、ラブレー、・・・。音楽となると私たちの国。バッハ、ヘンデル、ベートーヴェン、ワグナー、モーツァルト・・・。将校は、独仏両国の融合に希望をもち、ふたりに受け入れられることを、願います。映画のほとんどが、将校と伯父と姪の三人のいる居間のシーンです。将校の知的で熱い饒舌と伯父・姪の拒絶の意志をもった冷たい沈黙が、室内で交錯しあいます。
将校が、別れた恋人の話をするシーンが、印象的でした。森の中の草の上に寝そべる二人は、仲睦まじく語りあっていました。すると、首筋を蚊に刺された恋人は、その蚊を捕まえ脚を一本一本、憎々しくむしり取っていきました。将校は、この娘におびえます。祖国ドイツの残忍性を、強烈に示唆します。
将校は、休暇でパリにいき、旧友たちと再会します。しかし、そこで彼の知ったことは、強制収容所での大量虐殺の話であり、この戦争はフランスを叩き潰すためのものだ、ということでした。この戦争に、フランスとドイツの融合を願っていた将校は、それが幻想であったことを思い知らされ、前線への転属を願い出て、戦地へと赴くことになりました。
沈黙を通していた姪は、戦地へと去っていく将校に対して、小さく「アデュー(さようなら)」のひと言をつぶやきます。将校の去った後、ふたたび、伯父と姪の二人の静かな生活が、淡々と続いていきます。
小説『海の沈黙』は、画家ジャン・ブリュレルが、作家ヴェルコールとなって、1942年に刊行しました。ナチスの懐柔政策を暴露しファッシズムに対して激しい怒りに貫かれた抵抗文学として、欧米で広く読まれました。映画『海の沈黙』は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督によって、1947年に制作されました。監督の世界へのメッセージは、冒頭のテロップに込められています。日本語訳は、1951年、河野與一訳で岩波書店から発行されています。私の手元にある『海の沈黙』は1957年発行の第9刷で、戦後早いうちの日本でも、広く読まれたことを窺わせます。
映画は、岩波ホールの夜の部で見たのですが、ほとんどが暖炉のある居間での三人だけの会話(話すのは将校ただ一人)、会話内容は文学と音楽と戦争のこと、しかも動きの少ないモノクロの映像、さらに背景についての知識もおぼろげで、会話についていけない歯がゆさを感じながらの、結構しんどい90分間の鑑賞でした。帰宅後、書棚から本書を取りだして、一読のうえこの文章を書きました。そして今、映像と言葉を合一させて、『海の沈黙』の価値を再発見したところです。
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