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2010年2月13日 (土)

加藤周一と読む『源氏物語』-その3-

Photo 瀬戸内寂聴訳『源氏物語』十巻を読み終えました。当初、光源氏の好色と自己愛の物語を延々と読み続けていくことに、いささかの“あほ”らしさを予見していたのですが、平安時代の風俗や男女間の微妙な心理描写はそれなりにおもしろく、源氏の父帝から本人、子供、孫の四代にわたる時の流れに沿って物語を読み進むにつれて、徐々に、紫式部の世界に呑み込まれていきました。
 加藤周一著『日本文学史序説』の『源氏物語』の項は、今回でおわり。

 加藤周一氏は、『源氏物語』の思想的背景は仏教である、と指摘します。それは、此岸(現世)利益と彼岸救済のふたつの面から、描かれる。前者は、病気治癒や「物の怪」の調伏を目的に行われた僧侶による加持祈祷に、典型的に現われます。源氏の最愛の妻紫の上の重病の折にも、後半の宇治十帖の主役薫の君の愛人浮舟の自殺未遂の折にも、この加持祈祷がとりおこなわれました。こうした加持祈祷は、「魔術的効果を期待」しておこなわれるのですが、それは同時に、「多数の僧侶をあつめ、盛大に行われ・・・しばしばその豪華さそのものが自己目的とされることさえもあった」と加藤氏は指摘します。加持祈祷にあらわれた仏教的事象はあくまでも、現世=此岸のことなのです。
 本来、彼岸での救済をもとめてなされた出家さえも、ここでは、此岸のこととして表現されます。加藤氏は、「剃髪して寺院に退く「出家」も・・・しばしば生活上の困難から逃れるための便法であり、一種の引退の形式の制度化」であり「貴族の女の風俗の一部であった」らしいと推定しています。源氏も出家することを願っていましたが、その動機は、後世のための勤行に励みながらも、本音は「寿命ものばしたい」という現世利益のためでした。
 では、彼岸性を示唆する記事はないのか。加藤氏は、物語中に頻繁に登場する「宿世(宿縁)」という語に注目します。「前世の因によって現世の果を説明する概念であるから、当然、現世の業が後世の報いとなることも期待されなければならない」とし、「後世を願う」のは、浄土教の論理、つまり彼岸志向の問題だとしています。しかし、加藤氏の論にかかわらず、この物語に登場する男たちのいう「宿縁」は、女たちとの不倫や強姦のあと、「前世からの宿縁」でふたりは結ばれたのだ、という居直りと自己弁解の言葉へと堕していき、「後世」のために自己の行動を律するということは、全くありません。また女たちにとっては、ことの後の諦めと慰めの言葉にしかなっていません。本来彼岸志向としての言葉である「宿縁」は、此岸性に張り付いた言葉として現れているといえます。そのことはともかく、加藤氏は、『源氏物語』について、次のように性格づけをしました。
 「小説が日常生活の細部の描写に徹底したのは、土着世界観の此岸性の直接の表現である。長い話に一種の起承転結を具えたのは、仏教的世界観の包括的秩序の反映だろう。その意味で、『源氏物語』は、「日本化」された仏教が生みだした作品であった」。仏教的世界観の包括的秩序とは、因果応報的な秩序と言い換えられます。
 さらに加藤氏は、『源氏物語』が五十四帖(文庫本にして約3500ページ)という大長編小説をもってしか表現できなかったものは何なのかと問い、次のように結論づけています。
 「時の流れの現実感、すべての人間の活動と喜怒哀楽を相対化せずには措かないところの時間の実在感、あるいは人生の一回性という人間の条件の感情的表現であった」と。これは少し、難しい。もう少し、説明が必要です。加藤氏は、『源氏物語』に特徴的な時間の描写方法について、次のように述べています。
 その一、源氏の一生が、話しの全体を一貫しており、語り手の存在が、多くの独立の挿話(54話)にかかわらず、小説全体に持続性を与えていること。
 その二、自然(季節)と社会(四代の天皇の治世)と人物(流罪と昇進、成長と世代交代)の変化のなかに、長い時の流れを痛切に感じる。
 その三、「時間の経過が殊に鋭く表現されるのは」、上の持続性と変化とだけからではなく、「年月を措いて反復された同様の状況に対し、同じ当事者が示す反応の異なることによってである」。どういうことか。加藤氏は、源氏-藤壺と女三宮-柏木の二つの姦通事件に典型例を見出しています。藤壺は、父帝の妻にして源氏の義母。藤壺は苦しみ出家する。しかし、源氏は後悔も自責の念もなく、藤壺の生んだ子供が即位し、天皇の父親として栄耀を極めても、なんら懐疑することはない。そのために、源氏の妻(女三宮)の姦通事件は、源氏への因果応報としての効果をもたない。「似た状況の反復は、因果ではなく、その状況のなかでの源氏の役割の変化を印象付け、役割の変化をもたらした年月の流れを鋭く印象づけるのである」と、加藤氏は指摘します。
 その四、さらに時間の経過を強調するために用いたもう一つの手法は、「過去の現在におよぼす影響の強調」、つまり「過去の人物の印象が現在の人物の印象に重なって、当事者に独特の作用をおよぼ」している。事例。桐壺帝は最愛の妻藤壺に亡き桐壺更衣を、源氏は紫の上に藤壺の面影を、玉蔓にその母親の夕顔の姿を、重ねています。また薫も、浮舟に亡くなった宇治の大君の面影を連想させています。「男たちは、一人の女の姿のなかに、もう一人の表情を重ねて眺め、過ぎ去った恋の余情と始まろうとする情事の予感をない交ぜ、過去と未来とを一時の感情に凝縮させることで、かえって、年月の流れをあざやかに浮かび上がらせている」。
 以上の分析をへて加藤周一氏は、次のような結論を得ます。
 「『源氏物語』がわれわれに啓示する人間の現実とは、運命にあらず、無常にあらず、時の流れという日常的で同時に根本的な人間の条件である。その表現、または啓示のために、たしかに大長編小説は必要であった」。

 加藤氏の『日本文学史序説」は、日本人の世界観の歴史的変遷をたどる本です。そして、日本人の世界観は、「多くの外来思想の浸透によってよりも、むしろ土着の世界観の執拗な持続と、そのために繰り返された外来の体系の「日本化」によって特徴づけられる」という基本認識が、本書では貫徹されます。「土着的な世界観」とは、「日常的現実に超越する存在または価値を認めない」思想のことです。『源氏物語』に流れる世界観は、日常的現実にはりつき、仏教という外来思想を日本化した、まさに加藤氏のいう土着的世界観なのです。

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