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2010年3月25日 (木)

NHK特集 「『留用』された日本人-日中知られざる戦後史」

Photo 先週の金曜日、NHK・BS番組 「『留用』された日本人-日中知られざる戦後史」を観ました。2002年に、日中国交正常化30周年を記念して制作された、戦後中国へ留用された日本人たちの証言を記録した番組の再放送です。ここには、日中間の正(プラス)の歴史が、記録されています。日中間の交流と友好な関係が、幅広くしかも奥行きの深いものとなっていくためには、こうした歴史研究やTV番組の制作・放映は、負の歴史を記録し記憶しつづけることと同様に、大切なことだと思います。

  日中戦争が終った1945年、中国東北部(旧満州)には、155万人の日本人がいました。そのうち多くの人々が、苦難の末、日本へ帰還しました。しかし、さまざまの理由から、中国の地に留まった人々がいました。そのなかに、中国共産党あるいは国民党政府による命令あるいは要請によって、技術と労働を提供するために、中国に留用された日本人がいました。その数は、家族を含めて2万人をこえました。この番組は、こうして留用された日本人の証言を中心に制作されました。医師と看護師、鉄道技術者と労働者、旧軍人などが登場します。
 医師と看護師は、共産党とともに国共内戦に従軍し、チフスと傷病兵の治療にあたりました。八路軍(東北地区共産軍)には、医者も看護師も決定的に不足し、技術も極めて不十分でした。「次々と南から患者がやってくる。しかし医者がいない。私が診ざるを得なかった」(医師)、「住むところもなく、八路軍と一緒のほうが安全だった」(15歳看護生)、「強制ではなく、自ら手を上げて参加した」(14歳看護生)と留用の動機を語ります。「日本人医師として恥ずかしくないように頑張った」医者や「両親や兄弟を日本軍に殺された患者から、看護に対して感謝されて涙をでた」看護師の証言がつづきます。人民解放軍に従軍して中国南部へ行った医師は、東北になかった天然痘や日本住血吸虫病の治療に苦しみました。
 共産党幹部から、空軍の創設と育成を要請された旧日本軍将校の証言。彼は、協力条件として、次の3項を中国側から了解を取り付けます。①捕虜扱いしないこと ②日本人の生活習慣を尊重すること ③家族との生活を認めること。これをもとに、300人の部下に対して、協力と拒否の判断を各人に任せた結果、39人が拒否、将校1人が自決、そして残りが協力の道へと進みました。日本軍の残していった飛行機の部品を集めて、どうにかこうにか練習機を組み立て、中国人兵士の飛行訓練をはじめました。当初の日本人捕虜の教官という抵抗感と言葉の壁を乗り越えて、100名以上のパイロットが旅立ちました。1949年10月1日、建国式典の行われていた天安門広場の上空を、中国空軍機が飛んでいきました。旧日本軍技術者たちによって養成されたパイロットが操縦していました。
 日本人留用の目的は、建国後は、軍事から国家建設へと変わりました。旧満鉄の技術者たちは、鉄道建設のため甘粛省天水へと送られました。妻たちは、並んで歩くラクダの姿をみて、随分遠くへ来たことを実感しました。ソ連人技師が指揮者として派遣されてきていましたが、能力は低く、かれらに負けるものかと頑張りました。住宅は電気も水道もないヤオトンで、ボウフラが涌きサソリが出てくる環境でした。子供たちは、中国人の子供たちと同じ中学校に通い、中国語で授業をうけました。恩師の王先生の「日本人と中国人は仲良くしてください。日中友好の架け橋になってください」という言葉を、いつまでも忘れられない。1952年12月、予定より8ヶ月早く、鉄道は開通しました。
 どの現場でも、中国人の同僚は、日本人の勤勉さや誠実さと技能の高さを正当に評価し、日本人留用者は、共産党幹部の人間的魅力や解放軍の規律の正しさを認識しました。同じ釜の飯を食い苦楽を共にする中で、両者の信頼と友情の気持ちが育まれました。
 「留用」された日本人は、1953年から58年にかけて、帰国しました。彼らを日本で待ち受けていたのは、就職難と偏見と警戒心でした。制服の警官が出迎えました。祖父から「中国の軍隊に強姦されなかったか?」と聞かれたり、ひとから「共産党か?」と質問が浴びせられました。多くの人が定職につけず、ありとあらゆる仕事をしながら、生活基盤をつくるのに長年かかりました。その後、「留用」日本人と関係中国人との絆は切れることなく、国交正常化のあとも両者の交流がつづき、多くの人々が、日中友好に尽力しました。中国人留学生の受け入れ、小学校建設への寄付、リンゴづくりのための技術指導と苗木提供、北京での日本語教師、日中貿易の通訳、プラント建設など、多様な分野での友好親善を担いました。日中貿易の先駆けとなったLT貿易交渉の場に通訳として臨んだ元看護師の女性は、周恩来首相から声をかけられたことを証言しています。彼女は周首相から、中国語をどこで学んだかと問われ、解放軍で学んだと答えました。すると周首相は、解放戦争時日本人が、医師・看護師・技術者として協力してくれたことに対して深く感謝している、といいました。

 番組は、こうした貴重な証言、個人史をじっくりと聞かせてくれます。証言者からは、中国へ「留用」されたことに対する恨みや口惜しさの言葉が、きかれません。個人史の肯定は、日中友好の肯定となっています。コメンテーターが語りました。敗戦で満州の地に取り残され、国家に棄てられた人びとが、中国の建国に立会い、帰国した。ここに、国家とは何かをみつめてきた日本人がいる。また、彼らの人間として尊重された経験は、実に中国においてであった、と。(以上は、番組を観ながらのメモをもとに記述したものです。細かな点での相異があるかもしれませんが、大意は間違っていないと思います。) 
 久々に観た、感動的なドキュメンタリー番組でした。NHKの歴史に対する誠実な態度を、高く評価したい、と思いました。この番組の再放送が、2010年4月17日(土)午後1時30分~3時30分にあります。是非観ていただきたい。

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