孤高の画家 島崎蓊助展
小さな画廊の壁には、7枚のセピア色の油彩が、かかっていました。リューベック、アルトナ、メーレンと北ドイツの都市名が表記され、市庁舎や住宅、倉庫などが描かれています。いずれも、静かな街のたたずまいをセピアカラー単色で彩り、今までに経験したことのない不思議な絵世界がひろがり、思わず引き込まれました。
(「孤高の画家 島崎蓊助 セピア色に込めた執着と解放」展は、東京銀座・ヒロ画廊で3/13まで開催中)
画廊でいただいたリーフレットに、島崎蓊助(おうすけ)が紹介されています。それによれば、1908年、島崎藤村の三男として生まれ、13歳で川端画学校で絵画を学び、プロレタリア美術運動に傾倒。その後ドイツに渡り、千田是也らとバウハウス周辺の芸術運動に没頭します。戦時中は中国の戦場を描き、戦後は藤村全集の編纂にあたりました。藤村全集の編纂を終えた1970年、ベルリンを再訪し、セピア色の作品を描き上げました。
この展覧会情報は、ネチズン・カレッジの加藤哲郎さんのサイトで知りました。この中で加藤氏は、蓊助の1929-32年のベルリン滞在を、「自由人蓊助は、けっきょく左翼の閉鎖的・党派的体質になじめず、父藤村からの仕送りを放蕩生活で使い果たし、脱落する。・・・ハンブルグは、1932年末、青春をプロレタリア文化運動に捧げてきた蓊助が、政治的「同志」たちから見放され、挫折し、一人寂しく帰国した「洋行」体験の出口だった」と紹介しています。アルトナはハンブルグ郊外の小さな町。
3年前、藤村の『夜明け前』を再読し、幕末・明治維新期の名も無き民衆の姿を、主人公青山半蔵の苦悩と狂気のなかに読み取り、強く感動したことを思い出します。藤村は、近代小説作家のなかでは、最も好きな作家の一人です。その三男が、セピア色の油彩画家、島崎蓊助なのです。このことを、今回の展覧会で初めて、知りました。(写真は、ヒロ画廊のサイトから)
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