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2010年3月 8日 (月)

農事組合の解散

Img_32621  昨晩、年一回の区の総会があり、当区としてははじめて、「区会則」を決定しました。これは昨年の6月、旧町が高崎市と合併し、あらたに高崎市の区会として行政から指導をうけて制定したものです。市から提供されたモデル案をもとに、名称と一部条文を修正のうえ、可決されました。

 区総会のあとひきつづき、農事組合の総会が開かれたので、オブザーバーで参加しました。この農事組合は戦後、農地改革や農協設立など一連の農業近代化と農村民主化のため、全国各地の農村に組織されたものです。戦後の長いあいだ、食管法のもとで、行政や農協組織と個々の農家を結びつける中核的な組織でした。行政からの通知や農協の購買・販売の窓口でした。特に農協にとっては、肥料・農薬などの生産資材や生活用品の購買の取りまとめ役として、必要不可欠の組織でした。その農事組合が、昨晩の総会で、正式に解散が決定しました。
 総会の冒頭、農事組合長が挨拶に立たれ、47人で組織されていた組合が数年前から脱退者が出はじめ、ついに半数以上の人が脱退の意思を表明されているので、この際、組合の存続か解散かを皆さんに問いたい、と問題提起されました。この発言をうけて、地区の農地委員をつとめる還暦間近の組合員が、発言しました。先祖が苦労のうえ山林を開墾して桑畑をつくり、営々と農業を続けてこれたのも、農事組合あってのこと。今後は、環境・景観保護や都市住民との交流など課題が一杯ある。そのために、脱退の意思表明された方も翻意され、何とか組合を存続させていって欲しい。これに対して、私の周りの組合員からは、何もやっていないのだから解散でいいや、肥料は農協でなくても買えるよ、おれも脱退する、等のつぶやく声が聞こえました。脱退希望者は結局、既に止めたひとを含めると、構成員の3分の2となりました。そして組合存続の可否の採決。存続3名、他は解散。こうして、当区の農事組合は解散となりました。ほぼ60年ほどの歴史を閉じたことになります。
 70代半ばの農事組合長は、農業近代化に果たした組合の役割を高く評価しつつも、その歴史的任務が終った、と寂しく閉会(解散)の挨拶をされました。
 既に実質的な活動もなく、経済的にも交流目的にも、地域のほとんどの農家から期待されない組織となっていたのです。農協の購買窓口の役割もすでになく、農家・農協双方にとって、農事組合は既に、陳腐化していたのです。解散の鈴を誰がつけるかだけが、懸案だったようです。区の住民を結びつける動機から、農業生産は最早、退場したのでしょうか。

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