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2010年3月17日 (水)

加藤周一と読む『今昔物語集』上

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  加藤周一は『日本文学史序説』で、平安時代を代表する文学作品として『源氏物語』と『今昔物語』をあげてますが、前者を「「日本化」された外来思想の枠組を用いながら、土着の感受性を、極端に閉鎖的な環境のなかで洗練した文学」と評し、後者を「土着の世界観を背景とし、実生活上の智慧を、同時代の大衆とのつながりを通して徹底させた文学」と評価しました。そこで『源氏物語』のあとは、『今昔物語』を読むことにしました。
 まず、角川ソフィア文庫の『今昔物語集』を読んだのですが、それはあまりにもおもしろく、しかし掲載された話は29話とあまりにも少ないために、福永武彦訳『今昔物語』(155話、ちくま文庫 91刊)もあわせ読みました。
 2枚の絵は、市場での買物風景(『扇面法華経冊子』四天王寺蔵)と鬼が出た様子(『百鬼夜行絵巻』部分・室町 写本 東北大学蔵 )を描いたもの。『今昔物語』の絵画イメージです。角川文庫本の見返し部掲載の絵を参照した。

 12世紀はじめに編集された『今昔物語集』は、全31巻1040話にのぼる大説話集です。天竺(インド)部・震旦(中国)部・本朝(日本)部の3部からなり、天竺部は仏陀の生涯と仏教挿話を、震旦部は仏教伝来・仏教挿話・その他を、そして本朝部は「仏法」と「世俗」の話を集めています。『源氏物語』は、宮廷の貴族社会を描き、地方と民衆にはほとんど触れませんが、『今昔物語』は、貴族以外にも、僧侶、地方豪族、武士、医者、絵師、大工、商人、農漁民、猟師、相撲取り、盗賊、生霊、鬼・・・等々、極めて多彩な人びと(鬼や獣も含めて)が登場し、地域もインド・中国をはじめ、日本列島各地が舞台となっています。また、集められた話の中身もバラエティに富み、福永武彦訳では、世俗・宿報・霊鬼・滑稽・悪行・人情・奇譚・仏法の8部構成となって、そのことをあらわしています。加藤氏は、この本が「大衆に向かって話すために僧侶が読むことを期待して編まれた」と推定していますが、登場人物と舞台の多様性と話題の豊富さは、説話の聞き手である、当時の日本社会の大衆の在り様(仕事・暮らし・感情・思想等々)の多様性の反映だと思います。
 表記法は、『源氏物語』も『今昔物語』もともに漢字かな混じり文ですが、前者が「かな」に重きがあるのに対し、後者は「漢字」が主人公のごとくあります。最古の伝本とされる鈴鹿旧蔵本(国宝・京大図書館所蔵)をネットでみることができますが、カタカナが漢文を読み下すために挿入されている感じすらします。ところが原文を読んでみると、『源氏物語』は古語辞典をもってしても難解を極めたのですが、『今昔物語』は比較的容易に読むことができます。加藤氏のいう、僧侶が読んで大衆に話した、ということがよくわかります。
 さて、話のなかみ。加藤氏の記述に従って『今昔物語』の特徴を、整理します。
1.仏教の話は、現世利益的、此岸的。因果応報話では、悪行の罰よりも善行の報いの話がはるかに多い。人生に対して否定的であるよりは肯定的、悲観的より楽天的、地獄に堕ちるより極楽往生、極楽往生より現世利益型が、多い。このことを加藤氏は、次のように括ります。「編者の意図は彼岸性の強調にあったかもしれない。それにも拘らずではなく、まさにそれ故に、話の大多数が此岸的であるという結果は、おそらくその話を聴いたであろう大衆の態度の忠実な反映と考えられる」。土着的世界観の中心的概念の「此岸性」が、ここにも出てきます。
2.話は仏教を離れて偶像破壊的な展開へ。空中飛翔中に女の腓(コムラ・ふくろはぎ)をみて雲から落ちた久米の仙人は、宮殿造営のための材木人夫として働き、役人から頼まれ、材木を空中輸送します。「元仙人が人夫と混って働くという趣向に、偶像崇拝とは逆の作者の覚めた精神がみえる」。山中『法華経』を持ち歩き、毎夜現われる普賢菩薩に感涙して拝む僧と、それを怪しみ菩薩の胸に矢を射った猟師の話。翌朝見ると、野猪が矢に射抜かれ死んでいた。「聖人也ト云ドモ、智慧无キ者」と「罪ヲ造ル猟師也ト云ドモ、思慮有」(原文)。「この「思慮オモバカリ」は、宗教的でなく、倫理的でなく、実際的に智慧である。敏捷で、実際的で、合理的な精神。これがおそらく宮廷の女房にはなくて、しばしば猟師にあつた」。この項にもう一話(生贄イキニエの男が猿神を退治する)引用されていますが、これらをまとめて加藤氏は次のようにいいます。「神の祟りを怖れない勇気、すなわち伝統的な権威をみずから試さずには信じない勇気・・・(は)日本文学には稀にしかあらわれない。・・・『今昔物語』にあらわれ、「狂言」にうけつがれ、川柳雑俳にもみえた偶像破壊の精神が・・・福沢(諭吉)が神棚を踏みつけて祟りがあるかないかを試すこと」につながっていると、加藤氏の想像力が飛翔します。(つづく)

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